2006年2月 6日 (月)

さらば友よ、また逢う日まで。

ちょっと前回の旅行記では感情的になっていたかもしれない。僕には見つけられなかった良いところもいっぱいあるのだろう、これだけ観光客も来ているのだから。まだまだ青いなと反省しつつ、次へ進もう。

******

ベリーズ出国後は無事にメキシコにも入国でき、僕らはまたバスへ乗り込んだ。3日間のツアーが終わり、今度はメキシコ国内をカンクンまで移動する事となる。フローレスでエージェントに聞いた時には、その到着した街からカンクンまではその日のうちに問題なく行けるという事だったので、まずはバスを探さねば。

バスは無事目的地であるチェトゥマルへと到着し、まず最初の僕らがした事。そう、ATMで現金を手に入れる事である。Gaboには本当にお世話になってしまった。もし彼が日本に来るというのであれば、国を挙げての歓迎・・・とまではいかなくてもJon一家を挙げての歓迎をしてあげよう。

バスターミナルで、きっとGaboが最後にできるヘルプと言って、バスの窓口でチケットについて聞いてくれた。しかし、またしてもソールドアウト。。。しかもこのまま行ったとしても、着くのは夜11時頃。こりゃ参ったな、どうしよう?

そしてこの時気が付いたのだが、Keaneの顔が真っ青でどうも具合が悪そうだ。ひどい乗り物酔いになってしまったようで、まずはちょっと休んだ方が良いかもしれない。ここで一晩過ごそうか、Gaboもそう勧めてくれている。しかし僕らには時間が無い。どうしたものか・・・。

結局僕らが取ったのは、その折衷案として夜中のバスでカンクンに向かう、というプラン。これなら翌日の朝にはカンクンに着き遺跡にも行ける。しかも少し時間に余裕があるお陰でゆっくりする事もできる。まさにベスト、だったのだ。

まずはGaboがチェックインしたホテルに荷物を置かせてもらい、僕らは美術館へと出かけた。僕らは全くここの事を知らなかったのだが、事前に色々チェックしたGaboによると、ここがメキシコでも一番マヤの展示に関しては充実しているとの事。文明好きの僕がとても喜んだのは言うまでもない。

たっぷりと時間をかけて美術館を巡り、ついにチャックモール像ともご対面できた僕は大満足だった。街をぶらぶらして海岸の方へ向かうと、広場のようなところがあり綺麗に飾り付けされていた。クリスマスの名残らしい。あぁ、観光だ!

食事をした後はGaboの友達がたまたまこの街に来ていたという事で合流し、バスターミナルまで送ってもらった。その時に奇妙なシャーベットを食べさせてもらったのだが、言葉で形容するのがとても難しい。甘いのにスパイシー、冷たいのにホットと色々矛盾だらけのこのアイス(?)、メキシコでは以外とポピュラーらしい。まず日本では食えないだろうし、良い経験ができた・・・に違いない。

そしていよいよバスの時間、Gaboとの別れの時が来た。思えばグアテマラで彼と出会ってから、どれだけ彼の世話になった事だろう。そしてどれだけ楽しい時間を過ごした事だろう。僕の英語もある程度直してもらったり、中米について色々と教えてもらったり、単に旅で出会った友人以上の何かを感じていた。明日から彼がいないとは、実感が全然湧かない。まるで最初から一緒に旅をしてきていたようだ。

くっ、センチメンタルになったらダメだ。また会えるのだから。次に旅行する時は、まず一番最初にコスタリカを選ぼう。それまでしばしのお別れである。ハグをした後、チェトゥマル最後の視界は少しだけぼやけていた。

続く

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2006年2月 3日 (金)

光と影の、その向こう。

失って初めて気付くもの。かけがえの無い日常、大切だったあの子、そして旅行における安全。僕の旅行が安全だなんて、誰が決めた訳でもなく誰に決められる訳でもないのに、僕は太陽が昇るよりそれを信じていた。JAYWALKのように。

その日の朝は、とても調子が良かった。いや、良く見えた。朝迎えのバスに乗り込み、ベリーズを経由してメキシコへ戻るこの日、僕はGaboと一緒に座り楽しくおしゃべりしていた。朝早かったせいで、暗いバスの中パンを食べるようとして失敗、メンタルプロブレムと何度もからかわれた事が、もしかしたらこの時僕が既におかしかった事を示していたのかもしれない。

バスは順調に走り、まず最初の関門であるベリーズとの国境にたどり着いた。コスタリカ人であり、中南米を旅慣れているGaboの存在は本当に心強い。色々とアドバイスをもらい、グアテマラ側の国境は難なく通り過ぎた。その後ベリーズ側国境へ行くと、まず脇で待てと言うのだ。

立たされっぱなしの僕らを尻目に、人々はどんどん国境を通過していく。しばらく経つとようやく別室へと呼ばれ、ビザの面接をする事となった。一人ずつ入り話をすると言うので、まず僕から入った。下はその時の再現である。

奴「50ドルは?」
僕「え、ガイドから25ドルと聞いているのだけど?」
奴「足りないな、どうする残り25は?」
僕「25ではどうしてダメ?」
奴「ビザ欲しいんだろ?」
僕「・・・。」

しぶしぶ50ドル払い、ビザのスタンプを捺してもらう。その間も奴は、テレビでやっていたバスケットボールの試合に興奮したりがっかりしたり。立場の違いを思い知らされたようで、とても悔しかった。

しばらくして手続きも終わり、奴は一言「去ね。」と。どんな時でも上品な僕は「ありがとう、ごきげんよう。」と笑顔も交えて答えたのは我ながら立派だったと思う。

部屋を出た僕はそのまま税関を通過して、バスが待っているところへと向かった。後々この行動が悔やまれる事となった。しかし僕は何も知らず、全てが問題無いように見えていた。

全員が無事国境を通り抜け、僕らはベリーズを駆け抜けた。途中一度ベリーズで降りる人の為に一度止まったが、4時間程でメキシコとの国境へ到着した。と、ここでもなにやら金を払わなくてはいけないらしい。ただ出るだけなのに?15ドルも取るたぁふてぇ野郎だ。

・・・まずい、現金が無い。この手にあるのは、クレジットカードのみ。余計な現地通貨を手にしないようギリギリで来たのがまずかったか。どうしよう。。。

持つべきものは友、昔の人は言いました。僕らに救いの手が。そう、Gaboが!彼は僕らの分を立て替えて一緒に払ってくれたのだ。感謝感激とっても嬉しい!さぁ、あとは出国のスタンプもらってGO!!

しかし世の中そうは甘くなかった。出国管理官が、何やら僕のパスポートをぺらぺらめくってなかなか終わらない。まだ?と思ったら、ちょっと横で待つようにと言われてしまった。また?

今度はStitchもKeaneも通り抜けていく。不安がピークに達した頃僕は女性の管理官に別室へと連れていかれた。今度は完全にマンツーマンである。話を聞くと、どうやら僕はビザのスタンプのみもらって入国スタンプをもらってなかったらしい。そんな、奴が行けと言ったから立ち去ったのに!

どうやら国境では、ビザのスタンプをもらったらもう一度列に戻って入国審査を受け、入国スタンプをもらわなければいけないらしい。呆然とする僕に彼女は続けた。このままだと出国スタンプを押す事ができず、メキシコに入国できない。最初の国境に戻る?と。往復8時間。あーりーえーなーいー!

更に彼女は畳み掛けてきた。これは強制ではないからねと前置きした上で、もし50米ドル払えば助けられるかもしれない、と。うん?袖の下??お代官様、まけてくれてもいいんじゃ・・・。え?ディスカウントは無理??でなければ戻れって???足元見やがって!!!!

またしても金がなかった僕は、Gaboに借りて何とか支払った。彼女はそれをそのままポケットにしまい、その代わりにとしてくれた事はビザスタンプの上に2行程の走り書き。・・・そのくらいタダでやってよ。何だか悲しくなってきた。

たった4時間の滞在、ただ通り過ぎるだけで115ドル。なんてがめつい国なんだろう。どんなに素晴らしいビーチがあろうが、のんびりリゾートに最適と勧められようが、この先二度とベリーズに足を踏み入れる事は無いだろう。こんな根性曲がった国、大嫌いだ。

15ドルをGaboに立て替えてもらった時、レシートを渡されそこにはこう書いてあった。「また、すぐ会いましょう。」
ビリビリに破り捨て、この銭ゲバのような国を後にした。

続く

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2006年2月 2日 (木)

陽は沈み、偽りの月が昇る。

朝から歩き多くのアップダウンもこなした僕らは、たっぷり汗をかいた事もありまずシャワーを浴びたかったのだが、疲れた体はそのままだと今にも眠ってしまいそう。そこでまず用事を先に済ませる事に。

その用事とは何か?昨日ガイドに言われた、ベリーズ入国の用意である。まず僕ら日本人はビザが必要となるらしい。そしてそれには25米ドル相当の現金と写真が必要という事だった。まず街に出よう。

僕らが滞在していたフローレスは、(Gaboに教えてもらうまで気付かなかったが)実は湖の中の小さな島になっていて、街へ行くには橋を渡らなければいけない。現金も必要だったので、散歩がてら歩いて行く事にした。

まずホテルの近くでPhoto 24 hoursと書かれた店を見つけた。しかし写真屋はまだあるだろうしATMでお金を先におろしたい、という事でこれをパスして先へと進む。橋を渡っていると、湖に挟まれたその景色はとても綺麗だった。穏やかで静かな湖の島。フローレスというその美しい響きがとても似合っていたと思う。

街に出た僕らはまずATMへ。やる事がいくつかあったので手分けして一旦解散。グアテマラではそこまで使わないだろうからと、まず僕だけが現金を手に入れ3人でシェアする。精算は後日。その間にStitchは電話をかけKeaneはベリーズの入国情報をネットで確認。というのも、どうもベリーズ入国に写真は必要無いのでは、という意見が出てきたからなのだ。余計なお金は使わない方が良い。

現金を手に入れた僕がネットカフェへ行くと、情報がとても混乱していて良く分からないとの事。あるところでは写真が必要とあったり、あるところでは25米ドルではなく50米ドルだと書いてあったり。不安になった僕らは、とりあえず念の為に写真を撮る事にした。

色々と回ってみたのだが、どうも高い。一人4枚で40ケツァルはするようだ。まぁいい、とりあえずフローレスへ戻って近くで撮る事にしようと街を後にした。実は行ってみたい通りがフローレスにはあったのだ。

土産物屋が立ち並ぶその通りは、程よく民族衣装なども売っていて魅力的だった。どうせ写真は24時間だし、と夢中になって眺めていると、Keaneがぼそりと一言。24時間でフィルムからプリントできるという事では?・・・ダーッシュ!

店で聞いてみると、案の定写真の撮影はやっておらず現像とプリントのみだという。まずい、急がねば!もうすぐ日が暮れてまう!!街まで戻るのに、もう悠長に歩いてなどいられない。僕らはタクシーを捕まえて街へと急行した。

写真屋に着いた僕らは、100ケツァルで撮ってもらえるよう交渉して撮影に臨んだのだが、背景をどうすればいいかとの質問が。ビザ用だとどうなるんだろう。そしてサイズは?細かい事を一切聞いてなかった事に気付いた僕らは、質問の内容を紙に書いてもらい慌てて旅行代理店へ。この時点で6時23分、写真屋は7時で閉まってしまう。急ぐのだ!

・・・代理店閉まってるし。シャッターと鉄格子で完全武装してお出迎え。ひー。。。

とりあえず隣にあった系列のホテルで情報を聞いてみる。すると僕らのようにアメリカビザを持っていれば写真は必要が無いのでは、ただお金はやはり50米ドルかかるという話。ますます混乱して大パニック!まずは写真屋に戻ろう。

何を信じていいのか分からなかった僕らは、もう備えあれば憂いなしと写真をまずプリントしてもらう。お金に関しては、とりあえず明日50ドルと言われたら最悪の場合ガイドに間違った情報を教えられたからと立て替えさせるつもりで行こうと、このまま行く事にした。ケツァルが余ってもしょうがない。

フローレスへの帰りは、また歩いて橋を渡る事に。既に陽は沈んでいたが、まだ遠くの空は一部が赤く、そこから青、黒へのグラデーションがとても美しかった。その景色にようやくパニックもおさまり、レストランでこの度初のシーフードも食べ満足して眠りに就いた。明日、この旅行で最大のトラブルに遭遇するとも知らず、平和で満ち足りた眠りだった。

続く

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2006年1月31日 (火)

古き神々、そして人々の棲んだ廃墟。

ちょっと間が空いてしまったので、念の為に今までの簡単な説明をば。
クリスマスホリデーでメキシコ・グアテマラへ行く事にした僕ら一行は、迎えのバンが来なかったり目的地までのバスが取れなかったりと、ハプニングはあったものの何とかグアテマラに入国した。そして旅行4日目、僕らは前半部分のクライマックスであるティカル遺跡を訪れようとしていた。

******

この日僕らに大きな出会いがあった。コスタリカから来た英語の先生、Gaboである。

彼とはティカル遺跡へ行くツアーのバスで出会った。待っている時からちょっと話し始めたのだが、この人ただの英語教師ではない。どうやらコスタリカで英語学校の校長を務め、大学でも教えたりしているようなのだ。こういう人の英語は聞き取りやすくて素晴らしい。

Gaboにはユーモアのセンスもあったので、色々話しながらいつの間にか一緒に遺跡を巡る事となった。コスタリカ人だけあって、スペイン語はネイティブである。そんな人と知り合いになるという事がどれだけ大きな事か、僕らは旅をしながら実感する事となった。

昨日の時点で日の出が見られるという事だったので、僕はとっても期待していた。バスに乗り込んでからも、そんな明るい気分が僕をちょっとハイにしていたようで、僕は珍しくよく話していたのだ。しかしまさか、そんな気分を反映して空までが明るくなろうとは。。。遺跡の上から日の出を見る、僕の夢が打ち砕かれた瞬間だった。くそぅ、あのガイドめ!

バスが遺跡へ着く頃にようやく僕も機嫌を直し、チケットを買って奥へと進む。まずは暴れる胃袋をなだめる為に朝食をレストランで食べる事にした僕ら一行。Gaboの国がどこにあるか、中南米はどんな様子なのか、彼の仕事や旅行の事など色々な話をしつつ食事に関する簡単なスペイン語なども教えてもらう。僕の名字がバイク泥棒、という言葉と似ているらしいと教えてもらったのもこの時だった。普通以上に真人間なのに・・・。名前だけで判断されませんように。

その後ゲートへと向かいながら色々話をして、和やかな雰囲気の中僕らは楽しいひとときを過ごしていた。僕が買ったばかりのチケットを失くすまでは。係の人にチケットを見せようとしたのだが、カバンにもポケットにもどこにもチケットが無いのだ!やばい、非常事態だ!!

慌てて色々とひっくり返しおっくり返し探してみたものの、どこにも見当たる事なく僕のパニック度合いはピークへ。そこで頼りになったのは、やはり我らがGaboだった。係の人に話をつけて、無事に通してくれたのだ。もう、頼りになるよGabo様!僕はあなたについていきます。

ちょっとしたアクシデントはあったものの、無事に遺跡に侵入したJon一行。Group Fと矢印の示す方向へと歩いていき、ジャングルを抜けたその先に広がった光景に僕は息を飲んだ。高い、そして古い。なんなんだ、これは。写真では見た事があった。どんなものか想像もしていた。でもそんなもんじゃなかった。実際に目にした時のこの感動を、どう言葉にしたらいいだろう。

えも言われぬ迫力があり、圧倒的な存在感が僕を打ちのめした。古の文化、そこで暮らした人々のざわめきを聞いた。そこに流れてきた、大河のように静かで止まらぬ時の流れが、一気に氾流となって僕を飲み込んでしまった。しばらくそうしてマヤに浸った後、我に返った僕はそのTempleのあちこちを見て歩いた。登れるところは登り、そこからの眺めを楽しんだ。何故このような配置で建物を造ったのか、何故こんなに階段を急なものにしたのか。疑問は次々と湧いてきたが、遺跡はただ静かにそこに横たわり僕の問いを聞くだけだった。

そうして僕らは次々と建物を見てまわったのだが、どの建物も素晴らしく古く、そして美しかった。この建物群が埋もれていた頃、僕がこの場にいる事ができたならば。この遺跡の発掘作業に、自分も加わる事ができていたなら。感動の中にこんな嫉妬も含まれていたと思う。しかしそんな嫉妬は次の景色でかき消された。

そのTempleは裏面が埋もれていた時そのままで、まるで丘があるように見えた。僕は幾分急なその丘を登り、頂上で周りを見渡してみた。そこは狭く、人もあまり大勢乗る事ができないところだったのだが、その分誰も周りにおらず景色を眺める事ができた。

360度、見渡す限りジャングル。地平線は全てジャングルと溶け合い、辺りはただ緑、緑、緑・・・。晴れ渡った空の青とのコントラストは目に痛いくらいで、今僕を生かしてくれているものが何か主張していた。この遺跡での、僕にとってのクライマックスである。正直に言うと、このTempleの方が一番有名な4th Templeよりも良かったと思う。人も少なく、高さも同じくらい。そして登るのも遺跡自体の階段か裏側の土でできた坂道であり組み立てた足場ではない。そのままの姿を楽しむ事ができた。

こうして遺跡を全て見て歩き博物館も楽しんだ僕らは、何度も階段を上り下りしたお陰で大爆笑している膝を抱えてバスに乗り込んだ。汗臭く疲れてはいたが、とても満ち足りた気分でティカル遺跡を後にしたのである。旅行の雲行きが怪しくなり始めたのはここからである。

続く

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2006年1月21日 (土)

Go West。

ボートに揺られる事30分程で、僕らはついにグアテマラ国境の街に着いた。ガイドに連れられるままに入国オフィス(?むしろ掘建て小屋と言った方がいいような・・・)へ向かったのだが、そこは適当な中米の国。オフィサーがいないからしばし待て,という事になった。

たっぷり一時間程待っただろうか、ようやく戻ってきたらしい。まず入国に28ドル必要という事だったのでそれをガイドに渡した。その後更に10ドルがパスポートのスタンプで必要だという。こういった国境でよく聞く話ではあるし、ハッキリ言って払いたくなかった。

しかしそれを拒んでモメにモメ、出発を大幅に送らせたとあるカップルのようにはなりたくなかった。周りが皆払っていた上にそれでスムーズになるのなら、と結局払ったのだが、どうもそのガイドのポケットに入っていたような・・・?

まぁ色々あったものの、僕らは無事に入国を済ませ移動する事に。今度の乗り物は、更にボロくなったバンである。メキシコからこっち、どんどん乗り物事情が悪くなってきているのは気のせいだろうか。しかも道がこっちは更に悪いときたもんだ。鋪装すらされていない。あのメキシコ人青年が言っていた事は正しかったか、飛行機の方が良かったかも。。。

しかし天気は良く、揺れはするもののバスは快適に草原の中を走ってゆく。窓を開けていたので風が顔に吹き付けてきて、とても気持ちが良い。こんな荒れた道を疾走していると、どうしても思い出す映画がある。プリシラという、3人のドラッグクイーンがバスでオーストラリアを一周するというものだが、その中に荒野を立った一台のバスが走り、その屋根では大音量で「Go West」をかけている着飾ったドラッグクイーン、というシーン。むぅ、ここで屋根に出るのは難しいか。

歌う僕を乗せたまま、バスはそのうち舗装路へと入り快適なドライブとなった。やがてちらほら街も見え始めてきて、目的地が近い事をそれとなく悟りつつバスはいよいよ中心部へと向かっていく。大分街が街らしくなってきた頃に、僕らは終点フローレスへと到着。ここで1泊し、次の日ティカル遺跡へと向かうのだ。

相場に近い値段の中でも良い宿を紹介してもらい、湖を目の前に臨むホテルに腰を落ち着けた僕らは、早速その日の夕方湖のボートツアーに参加した。中央にある島へ渡り、色々な動物を見た後は夕日を島のてっぺんから見るというもので、こちらへ来てから初めての観光らしい観光である。

そのボートツアーを一言で表すと、「素晴らしい」となる。何が良かったか。まずはその島で見た動物達、ワニや色とりどりのオウム、亀に野生のサル、そしてマヤのシンボルであるジャガー。何よりもジャガーに興奮してしまった。彼等には気品があり、しなやかで力強い。これならば僕だって憧れる。

そしてお待ちかねの夕日である。夕暮れ時絶好のタイミングで天辺に到着すると、他の観光客が一切いない中貸し切りの夕日が目の前に広がっていた。湖の向こう、山の峰に沈んでいく夕日。どこまでも濃いオレンジで辺りを染め上げ、ゆっくりと地面の向こうへ姿を消すべく移動してゆく。

こうしてゆっくり夕日を眺めたのもいつぶりだろう。いつからか、こんな自然の美しさに目を向ける事なく人工物の山に埋もれていた。豊かな人生とは何だろう、そして幸せに生きる事とは・・・。少なくともこの瞬間、僕は豊かさと幸せを感じていた。大切な何かを、ちょっとだけ取り戻せたかもしれない。

続く

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2006年1月20日 (金)

ゼロ時間へ。

翌朝、メキシコに着いてから初めてベッドで寝た僕らはとても元気いっぱいで、朝6時のピックアップよりかなり前に準備を整えて朝ご飯を買い出しに行ってみた。前日の夜に24時間オープンと書かれたグローサリーストアを見つけておいたので、そこへ行く事にしたのだ。

朝の空気は澄んでいて気持ちが良い。空も段々白んできて、これから始まる一日が良いものになりそうな予感に満ちあふれていた。周りを見渡せば、朝から元気に活動する鳥や静まり返った木々、そして閉じられたシャッターが僕らを

閉じられたシャッター?!おいおい、24時間のはずじゃあ・・・。なんてこった、やっぱりここはメキシコだった。海外で日本を期待してはいけないと分かっていたが、まさか看板に嘘偽りありとは!空きっ腹を抱えて空しく僕らは宿へと引き返した。

バス(というよりもバン)はちょっと遅れてやってきて、僕らが乗り込んだ後も何人かピックアップしながら明け方の街を縦横無尽に走り回った。最後の客を拾い終えて街から郊外へ出る頃にはもう日が昇り始めていて、ようやく目覚めた草原を色とりどりに染めていた。

この明け方の、見る間に色を変えていく時間がとても気持ち良い。黒から青、青からオレンジ、オレンジからまた緑へと見る間に色を変えていく様はとてもきれいだ。日が完全に昇り本来の色を取り戻した緑はとても力強く、生きる喜びに溢れているかのようだった。

しかしやはり僕は人間である。空腹には勝てない。緑よりも食べ物を!優しい声より芋を!!もだえ苦しんでいたお陰で景色に目をやる余裕など無かった。。。

ようやく朝食の為に休憩となり、ブッフェ形式の食事をここぞとばかりに詰め込んでいく。卵焼きにパン、果物にサルサと色々と種類があり、味も良かったので大満足である。
・・・一つのものを除けば。どうしても、バナナの葉で包まれた何かは舌に合わなかった。どうやらマヤの伝統的料理らしいのだが、調理方法だろうか、単にバナナの葉の香りが苦手なだけなのか。くぅっ、マヤに負けたか!

朝食後は再びバンに乗り、グアテマラとの国境へと向かう。ようやく余裕ができた僕らは、どことなく日本を思い起こさせる茅葺き屋根の家や、ぼろぼろの家に取り憑いていたパラボラアンテナなど興味深いものが盛り沢山な事に気付く。この新しいものと古いもの、そしてハイテクと発展途上がごっちゃになっている国は何なんだろう、とても面白いじゃないか。

そんなこんなで飽きる事なく、バンはグアテマラとの国境にある街へ到着した。出国手続きを済ませた後僕らが乗ったのは・・・そう、船である。これから川下りをして、グアテマラへ入国となるのだ。幸いにも天気は快晴、絶好のクルージング日和である。ワクワクして川辺へ降りてみると、そこには8人乗り程の小さなモーターボートが。こんな船で国境を越えるなんて、何とも愉快である。

岸を離れたボートは、流れが穏やかで止まっているかのように感じられる川を快適に進んでいく。濁った重そうな水をボートから眺めていると、まるでとろりとした泥の中をボートが滑っていくような錯覚に陥りそうになる。何とも平和な、グアテマラの昼下がり。2日後に起こるトラブルの静かな序曲。何も知らない僕は、ただ旅行を楽しんでいた。

続く

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2006年1月19日 (木)

動き続けたその先に。

朝5時という早い時間に、名前も分からぬ街のバスセンターについた僕達は、まず次の目的地であるビジャエルモッサへのバスチケットを確保する事にした。こんなに朝早いのに、バスターミナルには人がまだまだ多い。全く寒くないせいでそんな気は爪の先ほどもしないのだが、クリスマスシーズンなんだなとここで実感。

バスのチケットを首尾良くゲットし、出発までの1時間を思い思いの事をして過ごす。ようやくまたガイドブックを読み、次に行く予定の遺跡であるパレンケ遺跡について情報収集。恐らくこれが僕にとって最初の遺跡となるはずだ。本をめくる手にも力がこもる。

と、なにやら音が聞こえて来たので顔を上げてみると、斜め前に座ったおじいちゃんが孫を抱きしめてちゅっちゅちゅっちゅとキスをしているではないか。メキシコの人は情熱的で、愛情表現も激しいものだと聞いてはいたがここまですごいとは。まるで誘拐されていた子供を長い執念の追跡で取り戻し、しばらくぶりにその腕に抱いた父親のよう。目に入れてもかわいくない、食べてしまいたい、かわいさを表現するそんな言い回しがあるが、その両方ともを本当にやってしまいそうな勢いだった。やっぱり子供はかわいいなぁ。

その後時間となったのでバスに向かい、一路ビジャエルモッサへ。道は昨日に比べると大分良かったので快適である。今度は乗り込んでから到着までずっと寝ていた為、3時間の道程もあっという間に到着してしまった。さて、ここからどうしよう。

パレンケ遺跡まではここビジャエルモッサからもツアーが出ているようだったが、その為にはまずダウンタウンへ行かねばならない。とりあえずダウンタウンへの行き方を聞き歩いて行ったのだが、どうも道がおかしい。地図で見ても何か違うのだ。良く目印を見てみると、どうやら全く逆の方向に行かされていたようだ。くそぅ、あのおっさん騙したな。。。

仕方なく戻る事にしたのだが、その道々いっその事パレンケへバスで行ってしまおうかという案が出た。ちょっと話し合った結果、交通の便等を考えてその案を採用する事に。早速バスターミナルで次のチケットを買ったところ、次のバスまで3時間程の空きがあった。ガイドブックによると、そこから遠くないところに公園があるという。早速タクシーに乗り込み公園へ。大きな池があるこの公園はきれいなところで、巨大な人の顔の彫刻で有名なところだった。

一通り回った後は再びバスの旅である。今度は4時間程、やれやれ昨日から乗り物に乗ってばかりだ。席につくと、僕の隣にはとっても神がもじゃもじゃの青年が座っていた。スペイン語で話しかけられたが、話せない事が分かると英語は分かるかと聞いてきた。しばらく英語で会話しているうちに、これから以降としている場所の情報などを集める事ができた。

僕らはパレンケ遺跡の後グアテマラへ行き、ティカル遺跡を見ようかと計画していたのだが、その手前の拠点都市フローレスまでの道がとても悪いらしい。それであれば近くに空港があるから、飛行機で行くのが一番!とそのメキシコ人の青年は教えてくれた。この情報はが後から考えると大きな意味を持っていたのだが、この時の僕はまだ知る由もなく、そうなんだ、と聞き流してしまった。これがまずその後訪れる悲劇の始まりだったのかもしれない。

パレンケへ到着してからは、まずティカル遺跡へのツアーを確認してみた。旅行代理店である。英語を話せるところがあったので、そこでいくらくらいでどのくらい時間がかかるか聞いてみた。1000ペソで往復のツアーがあるという事だったが、なんと3日間かかるという。まずい、そんな時間はない。。。

一旦どうしようと顔を見合わせてみたら、そこで帰りのフライトががカンクンからである事を思い出し、メキシコのもっと東側に行くツアーだとどうなるかシミュレートしてもらう。

その場合パレンケの遺跡には行けないが、ティカル遺跡と地チェンイツァ遺跡には行く事ができる。メキシコ以外にも国を回れるこのプランはとても魅力的で、結局パレンケ遺跡を諦めそのツアーで組んでもらった。ルートとしては、グアテマラで遺跡を見た翌日フローレスよりベリーズを経由してメキシコ入り,というものだった。

ベリーズが国だとこの時点で誰も知らなかった事はちょっと問題だが、それでも最短ルートで行ける事には違いない。しかしこの選択をこの時していなければ、もっと違った旅行の結末になっていたかもしれない。トラブルの種はこうして播かれていたのである。

続く

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2006年1月16日 (月)

メキシコで僕も考えた。

ひとまずメキシコシティーから脱出すべくバスターミナルに到着した僕らは、食べ物を求める胃袋をなだめつつバスのチケット売り場へと急ぐ。途中屋台村のようなところがあったりして、いい匂いが殊更辛い。。。

何とか誘惑を振り切ってチケット売り場へ到着、早速カウンターへ行って聞いてみた。交渉役は、少しスペイン語を話せるStichである。

僕らが目的地に,とピックアップしていたのはパレンケ。飛行機の中で決めたルートは、まずパレンケへ行き遺跡を訪ね、そしてバスでグアテマラへというもの。クリスマスシーズン、期待や疲れ、安堵など様々な表情を顔に張り付けた人が溢れ返るチケットセンター、ようやく窓口にたどり着いた僕らにその夜チケットはもう残されていなかった。明日の朝早くはと訪ねるが、答えは同じ。

このままでは夜の9時から宿探しを、このデンジャラスなメキシコシティーでする羽目になってしまう。ひとまず作戦会議。とりあえず別の会社も調べてみて、もしそこでも無いようであれば、パレンケ近くの街ビジャエルモッサ行きのバスを聞こうという事にして、パレンケ行きのバスを扱うもう一つの会社へ行ってみる。しかしここにはさっきの列など鼻くそ、というくらいの長蛇の列が!

昼に小さなサンドウィッチとニンジンをかじっただけの僕らの胃は、もうそれ自身を溶かし始めそうなほどに不満の声を上げている。そこで僕が列に並んでいる間、StichとKeaneに何か買ってきてもらう事にして僕はガイドブックを読み始めた。

一人で待っていると、思ったより列は早く進んで自分の順番がやってきてしまった。僕はまったくスペイン語など理解できない。せめて窓口の人が英語を理解できればと祈りながら話しかけるが、僕の祈りは届かなかった。何とかガイドブックの後ろに乗っている会話例を参考に聞いてはみたが、いかんせん言ってる言葉が分からない・・・。うぅ、言葉の壁がここまで高かったとは。。。

諦めてグラシアスと言おうとした時、そこに救いの神、Stich帰還。とりあえず聞き直してもらい、パレンケもビジャエルモッサもチケットは無いが、さらにそこ近くにある「ナントカカントカ」という街までならあるという。そこからはまたバスに乗ってビジャエルモッサまで行けるだろうし、もう他に選択肢は無いだろう。そのチケットをようやくゲットして列から離れた。

そしてようやく飯の時間である。二人が買ってきたのはタコス、これがまた美味いのだ。程よく聞いたスパイス、塩加減も調度いい。一緒にあったライムをかけて食べると肉の臭みを美味く消してくれるので更に美味い。空腹という最高のスパイスがプラスされて大満足した僕らは、時間まで屋台村を冷やかしてまわる。ロックに目がない僕は、スパニッシュロックのアルバムを一枚買いウキウキである。

やがて時間となったのでバス乗り場へ行き、シートに体を埋める。疲れもありすぐ眠りに落ちたのだが、暫くの後目が覚めてしまった。時間は2時、到着時間は5時半。まだまだ時間はあり、一度僕の元を去った眠気はなかなか戻らなかったので考え事をする事にした。

僕は今まで、いわゆる一般的な人生とは違う人生を歩んできたと思う。専門学校を卒業した後カー用品点で働き、その後突然トヨタの期間従業員として愛知へ行き、11ヶ月後に千葉へ戻るとその半年後にはイギリスでのボランティアプログラムに参加。1年後帰国してビックカメラでの販売員生活の後とある留学の会社で働き、そこで扱うプログラムに自分で参加するという離れ業もやってのけ、今はアメリカにいる。

今までの人生を振り返ると楽な方、楽しい方へと道を選んで大変な事から逃げていた部分も多かったなと気付かされる。以前付き合っていた子に言われた言葉が、実感を持って心にのしかかる。やろうと決めた道で、大変な事があってもそれを乗り越えた事ってないよね、と。

何か趣味でやりたい事があり、それに向かって努力した事はある。ただ、目標を決めた後でそれに向かって進み、その途中にやりたくない事があっても何とかそれをやり通し、乗り越えた経験がはたしてどのくらいあるのだろう。

今アメリカでバックグラウンドも何も無いジャンルの勉強をして、時にはやりたくない事もやりながらそれを乗り越えて、その時の達成感を味わった。今までの僕には経験が無いその事が、どんなに気持ち良かった事だろう。

分からない事を勉強し、その上で理解した一瞬というのは何とも言えず快感だった。ようやくその道へ一歩を踏み出せた気がする僕は、少しは成長できているだろうか?逃げる事だって悪くない。それだって立派な選択肢の一つだし、こうしてどこかで気付ける機会だってあるのだから。

人生が今、大きな転換期にある事を実感している僕を、バスは猛スピードで運んでゆく。夜明けはもうすぐそこにあった。

続く

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2006年1月14日 (土)

ご旅行は計画的に。

いきなりのトラブルに今後の運命を垣間見た気がするが、それでも僕らは旅に出る。何といってもクリスマスホリデーなのだ。楽しい時期なのだから。これしきの事で邪魔されてたまるものか。

何とか気持ちを切り替えつつ、僕らはメキシコへと旅立った。今回のルートは、ヒューストン経由メキシコシティー行き。それぞれが4時間程のフライトで、ヒューストンからの飛行機では軽食が出た。サンドウィッチとニンジン。

・・・ニンジン?ウサギさん??生の、ニンジンが、袋に入って、ころころと。周りを見ると、皆普通にぽりぽりとやっている。これは、アリなのか。アメリカ恐るべし。

食べ終わった後、持っていったガイドブックを見てみるとこんな情報が。
「メキシコシティー、治安悪い。」
えぇー、でももう向かってるよ。。。しょうがない、それなら着いたらすぐにバスで移動するとしよう。鉄道が次々廃線になり、バス大国であるメキシコ。夜行バスも多く走っているようだし、それで移動してしまえ。どれどれ、バスの情報ページは、と。なになに、
「1等と2等があり、2等は途中で止まる為強盗の危険あり」。
それなら1等で行こうね!お、もっと何か書いてある。
「クリスマスシーズンはとても混み合うため、予約をしないと難しい」
・・・?今日何日だっけ??

早くも機内でパニックになりかける僕。そもそも現地へ向かう飛行機でその情報を知る事自体がおかしい。旅行の計画って、とっても大事。次からは欠かさない。インディアン嘘つかない。

そんな僕らを乗せて、飛行機はメキシコシティーへ到着した。まずはバスターミナルへ行く事にして、地下鉄の駅へと向かう。・・・はずだったのに、どこへ行っても地下鉄のサインなどがない。仕方ないちょっと道を聞こう。
「Excuse me?」
「べらべらべれ」
くっ、スペイン語だったんだ。。。

空港の色々な場所をうろうろした後、ようやく英語を話せる人に教えてもらい地下鉄へ。ちょっと幅が狭い、妙にコンパクトな電車でバスターミナルへ向かった。途中乗り換えの時にドアの前で降りる人を待っていたら、いきなり目の前でドアが閉まった時にはメキシコに拒否されたような気もしたが、弱音を吐いては旅行はできぬ、何とかバスステーションまで辿り着いたのだった。しかしそこで待ち受けていたものは、またしてもトラブルだった。

続く

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2006年1月13日 (金)

そして旅は始まった。

思えばこの初日の朝,このハプニングが今後を象徴していたのかもしれない。最初のトラブルは、空港に向かうところでやってきた。

僕らの飛行機は朝8時45分発だった。旅の第一段階、空港への足を確保する事。きっちりと1週間程前に、空港へのピックアップサービスを3人分まとめて予約。場所で見ると僕の家が最後になるという事だったが、4時40分には迎えにいくという事だったので、当日の朝僕は時間通りに表で待っていた。

しかし待てど暮らせどバンが来ない。ちょっと遅れてるのかなと思って待っていたが、いくら何でも遅いだろう、もう5時を過ぎる。そこで僕の携帯が鳴った。

かけてきたのはStich、最初にピックアップされているはずだった。嫌な予感とともに電話に出ると、不安と怒りが若干入り交じった声でまだ迎えが来ない、と言うじゃないか。かけ直す事にして、すぐピックアップサービスに電話してみると、バンが遅れているからもう少し待て,と言うのだ。そこで念の為に3人分ちゃんとピックアップしてくれるんだよね?と聞いてみると、予想だにしない返事が。

「予約は3人分入っているけど、一人の場所が離れててもう1台バンが必要なんだ。でも全部で払っているから、タクシーとか捕まえるようにその子に言っといて。」

・・・何ですと?もう一度言ってみろ、このヤロウ!と言おうとしたところで携帯の残高が切れてしまい、呆然とする僕を残して電話は切れた。早朝だけど、叫んでもいいシチュエーションだと思うのだがどうだろう?

もう少しで爆発する!と思ったところにバンが到着。Keaneは既に乗っていて、まず一安心。遅れと対応の悪さに機嫌も悪かったので、ドライバーにはちょっと強めにStichを拾うよう指示すると、意外にもあっさり従ってくれた。10分後には無事合流できたので良かったが、きっとこの会社を使う事は二度とないだろう。。。まったく、出発の朝から縁起の悪い。
ええい、塩撒いてくれるわ!

続く。

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