2006年6月10日 (土)

イギリス医療事情

これは実際にあった話の記録である。
送られてきたメールをそのまま載せてみたので、
まずは読んでみて欲しい。


やあJon、久しぶり!元気でやってる?
俺はまぁ元気でやってるよ。俺は、ね。
こんな思わせぶりな事を書いたのにはちょっとした事情があってな。いや、実は結構ショッキングな出来事があって、今日はそれを話したくて。

彼女ができたって言うのはもう言ってあったよね?実はその彼女がいきなり盲腸になってまったんよ。。。今だから笑い話にできるけど、その時はあの子めっちゃ大変やったわ。この国の医療事情はもう最悪!!絶対こっちで病気になるものかと、俺は心に固く誓ったね。

この前あの子が遊びにきた時にそんな事になったんだけど、初めは夜寝る前からお腹痛いって言ってて、まぁ一晩様子を見てはみたんだけど、次の日になっても治らないわけよ。むしろ段々激しくなっていくようでさこの時点ではまだ盲腸なんてお互い考えもしなかったんだけどね。ただあんまりにも痛みがひどくなっていくから、勇気を出して夜中に救急車呼んだけど、一旦来るとか言ったくせに、いきなりかけ直してきて忙しくて出払ってるから来られない、タクシーで近くの病院に行けとか言いおった。。。

信じられる?日本で言う119がだよ?!タクシーにしぶしぶ電話したけど、どこも夜間サービスやってないとか言われるし、しょうがないから番号案内に電話して調べてもらったんね。そしたら一件見つかってそのまま転送してくれるたわけよ。すぐにつながって、病院名を言ってお願いしようとしたらさ、話が何か食い違ってておかしいんよね。どこからかけてるんだと言われて住所を言ったら、都市はどこなんだと言われ、もちろんロンドンと答えたら、、、

なんとそこはオックスフォードのタクシー会社でやんの!!

何なんだ、この国は。。。もうあまりの出来事に一人パニックに陥りそうになってたら、その日偶然泊まりに来てた友達が最寄り駅まで走ってくれて、ようやくタクシー捕まえて病院に行ったんだけど。もう持つべきものは友だと、この時心から思ったわ。

病院着いてすぐAccident&Emergencyに駆け込んだと言うのに、めっちゃ混んでて待たされて、病院着いたの3時なのに、ドクターに会ったの朝5時過ぎ。しかも、そこから入れ替わり立ち替わりいろんなドクターが来るワケよ。ちょっと見ては簡単な説明をしてその場を去り、また別のが同じような事を繰り返し、という具合やった。何人目かのドクター(確か女医さん)がようやく盲腸との診断を下し、即入院という事になってさ、これで一安心と思ったんだけど、やっぱり一筋縄じゃいかないんだね、これが。

手術室が空かないから、今日はできないといきなり言われたんよね。確か盲腸って、放ったらかしにしとくと腹膜炎で死ぬんじゃなかったっけ?そんな、殺す気か!と思って食らいついてみたものの、無理なものは無理、とすげなく断られて・・・。

次の日になって聞いてみても、まだ無理だから明日まで待てとか言いおって、もういい加減腹立ったから騒いだろかと思ったらさ、ようやくここで向こうが折れて、じゃあこの時間に手術をするから、と10時にようやく手術を受ける事ができたんよ。

でも手術が終わったからと言って安心できないのがこの国で、手術の翌日の昼食を見てびっくり!普通の病院食。元ナースだった彼女に聞くと、日本だったらまだおかゆ、しかも緩いやつレベルのものしか食べないらしいのに。あり得んて。「あなたもナースだったからわかるでしょ、なんて言いおってさ。

いきなりの通常食と日本人には強すぎる薬のせいで、もう吐くわ具合悪いわで大変だったんよ。病院にいたら逆に殺される!と冗談でなく思ったりして、ドクターに掛け合って退院を勝ち取って一件落着。しばらくその後、うどんやらおかゆやら色々作って看病して、途中一度病院に行ったくらいで終わったけど、お腹には大きな傷が残ってしまったし、もう医療事情は最低といって良いくらいだと思うわ。

教訓としては、必ず医療保険には入ってプライベートの病院に行け、と。あんなん患者が辛いだけやって。プライベートはいい、目が優しい。

じゃあまたメールするわ、こんな事にならんよう、体には気をつけてな!


自分の国以外で病気になると、ただでさえ心細いだろうに・・・。そんな事があるともうその国自体が嫌いになってしまいそうだ。。。イギリスに長期行く女の子、まず盲腸を取ってから行った方が良いかもね。これから行く人達に、幸運を!

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2006年4月 3日 (月)

遥か彼方で、安らかに。

僕と彼の思い出で、一番印象深いのがこの病院へ行った時だ。他にも色々な思い出が、小さな事ならそれこそいくつかあるのだが、内容を選ぶ事ができないので今は書かない。それでも、色々な呼び方で僕を呼んでいた、あのBig Johnの声だけは今でも覚えている。

「Jon〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」(通常バージョン)
「Jonっ!!!」(短くきって叫ぶ。いたずら心があるときはこっち)
「JonJonJonJonJonJonJonJonJon・・・」(ささやくように繰り返す。これは?)

などなど。実に豊富なバリエーションで呼んでくれたものだ。同僚達の間ではいつもその話で盛り上がっていた。今日も叫んでる声を聞いたよ、お前もか、俺もだよ、などなど。彼はちらっとでも僕の姿が見えようものなら、大声で僕の名前を呼んだ。そのおかげで何度心臓が止まりかけた事か。。。あれから僕は、きっと心臓も強くなったに違いない。

そんな数々の思い出を残しつつ、僕らにもやがて別れの時がやってきた。ボランティア期間が終了し、帰国と相成ったのだ。はっきりいって、帰国などしたくなかった。ずっと残っていたかった。気の良いボランティア仲間、快適なロンドンの生活。自由と可能性が開けていたはずであり、僕にとっては最高に居心地の良かった場所。それが時間というたった一つの要因で離れなければならないなんて・・・。

帰国の前、最後のシフトの時に僕はBig Johnと話をした。ごく短い、それでいて心に残る会話。思いがあふれて自然と無口になってしまったが、彼は最後に念を押した。

「いいかJon、夢、そして心だ。」
「うん、わかったよ。はっきりとした形の夢はまだ無いけど、形になったら絶対それをかなえてみせる。その時がまたあなたに会う時だ。」

こうして僕らは再会を誓い、僕は日本へ帰国した。まさかその会話が最後の会話になるとも知らずに。

一年の時を経て帰国した日本は、どことなく重苦しい雰囲気が漂い人々は憑かれきっていた。こんな状態だったかと、自分の記憶を辿ってみたもののはっきりと思い出す事ができない。日本の社会が病んでいる証拠か、と思いはしたが、僕だってこの社会で生きなければならない。

デジカメの販売員を始めた僕は、段々と日常に溶け込んでいった。そうしているうちに日々の忙しさにまぎれ、僕の夢はより形をあやふやなものへと変えていく。焦りと不安、僕はどうすれば良かったのだろう。

しかしふとしたきっかけで僕はその世界から足を洗い、留学の会社で働く事となった。とてもやりたい、と思って入った会社だった。未来は開けたかに思えた。朝から一生懸命働き、雑用もこなしながら送る日々。そしてそんな日々に徐々に忍び寄ってきた暗い影。上手く回っていたはずの歯車はきしみ悲鳴を上げ始め、そんな時イギリスに残ったコリアンの友人からメールが入った。

Big Johnが息を引き取ったという。突然の訃報だった。あの、大きな声で僕を呼んだ彼は、夢は何だと一生懸命聞いてきたあの彼は・・・。思い出が大きな波となって僕を襲った。早すぎる!まだ、これからだったじゃないか。再会する約束だって果たせていないし、僕の夢を見届けてくれるんじゃなかったのか?!

興奮の波が去った後、僕は静かに考えた。その時壊れかけていた、当時の彼女との関係。僕のその先。どうしてもなじめない会社、その仕事。このままじゃいけない。夢を追う事は、今や彼との最後の約束なのだ。それを果たさずして、何が男か。

数ヶ月後、僕はすべてのしがらみを断ち切ってアメリカへ渡った。エンジニアのトレーニングを受ける為である。ハードではあったが充実した3ヶ月だった。色々な事に気づく事もできた。人生の中でも、最も大きな何かを得るきっかけを作れたと思う。

今、僕には夢がある。きっとあなたに聞かれたら、胸を張って「Yes」と答えるだろう。ねぇBig John、見えているかな?遠く離れた極東の地で、僕はあなたとの約束を忘れちゃいない。心を大切に、夢を追って生きているよ。喜んでくれているかな?

あなたからもらったもの、あなたが教えてくれたもの。僕は自分の子供ができたら(既に名前は決めてあるのだけど)伝えたい。夢、そして心だ、と。その子があなたに似ていたらちょっと困るけど、それでもあなたのように逞しく育って欲しいと思ってしまう。もしレスリングをやりたいと言い出したら、僕はどうするだろう?

人生何が起こるか分からない。僕の未来はまだ分からない。それでも僕は夢と心を大切に、あくまでも僕として生きる。見守っていてくれるよね、いつまでも。

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2006年4月 2日 (日)

Is there a doctor in the house?!

病院に着くなり彼は、開いている一つの椅子に腰を降ろしたが、どこも二人掛けの席は空いていない。内心ほっとしながら向こうに座ってるからね、と言って行こうとした僕に、彼は叫んだ「Jon---------------------------!!!」

びくっとした僕&周りの皆様。戻ってみると、彼はかぐや姫のように、この例えは似合わないな、睡眠不足の子供のように無理難題を吹っかけてきたのだ。

ここに座れ、と。

もちろん両隣は空いていない。それなのにその椅子を指差し、ここだ、と言うのだ。「ここ?」と聞き返すと、何を質問する事がある?とばかりに頷くではないか。さすがにそれはできないし、仕方なくたったまま彼と話して順番を待つ事に。

周りのおばちゃま達からは、大変ね、あなたもという温かいような居心地の悪いようなまなざしをいただいていた僕。この時点で帰ってしまいたかったのだが、こんな状態でBig Johnを放っておく方が危ない。覚悟を決めて僕は彼の前に立ち相手を始めた。

しばらくくだらない事や支離滅裂な事を言っていたが、不思議とそれが心地よいと感じられるようになってきた。理由は今でも分からないが、きっと彼と僕との間に何か穏やかな風が吹いたのだろう。僕はだいぶリラックスして話を続けた。

そのうちに、何故か突然彼が真顔になり、僕にこんな質問をぶつけてきた。

「Jonよ、お前は大人になったら何になりたい?」

この時僕は22歳で、夢を語れるほど若くはなく、将来がしっかりと見据えられるほど大人でもなかった。元々その何かを探したい気持ちもあってイギリスへ渡った僕である。この時点でも将来の方向など決まってはいなかったし、ましてや夢など・・・。

返事に窮してしまった僕を見かねた彼が言った。

「何かあるだろう、医者だとか弁護士だとか・・・。お前さんには何もないのか?俺は昔レスリングをやっていた。それは強かったんだぞ。チャンピオンにだってなった。でもそれが何故か分かるか?」

僕を覗き込む彼の目は真剣だった。強かったから、自分が好きだったから、色々な理由が浮かんできたが、いつになく真剣なその目の前では何一つとして言葉にする事はできなかった。仕方なく僕は、ゆるゆると首を振った。

「夢があったからだよ、夢が。俺は強いチャンピオンになって、絶対に成功してみせるといつだって思ってた。その思いの強さが俺をチャンピオンに押し上げたんだ。」

真剣に話す彼の顔は、とても50を越えた路上の人には見えなかった。

「Jonよ、夢を持て夢を。お前はまだ若い、何でもできる可能性がある。しかもお前には何よりも大切なものがあるんだ。何か分かるか?」

再び首を振る僕。自分の、何よりも大切なもの。自分が何よりも大切にしているものではなくて。

「心だよ。お前は本当に良いやつだ。こればかりは成長するうちに育ててこなければいけないものなんだが、不幸にして育てているやつは多くない。お前にはそれがあるんだよ。今から欲しがってるやつはいっぱいいても、ここから手に入れるには大変なものをな。」

こころ、か。僕は自分の胸に手を当てた。正直に言ってしまえば、わからない。自分のどの辺りが、そんなに人とは違う何かなんだろうか。ただ、それでも彼が僕に何か大切な事を伝えようとしているのは分かった。彼は更に続ける。

「大切にするんだぞ、心を。どんな時でも、な。」

ありがとう、Big John。僕はそうつぶやいて、彼の肩を叩いた。ちょうどその時名前を呼ばれ、僕らは診察室へと入ったのだが、残ろうとした僕を彼は強引に中へ引っ張っていってしまった。そしてドクターに一言、

「俺は難しい事はいっさい分からん。ここにいるジェントルマンに話してくれ。」

え?えぇ?!ちょっと待ってくれ、僕は日本人でそこまで英語が得意ではないし、ましてや専門用語なんて・・・。無理だって、誰か辞書をここへ!!

そんな僕の心も知らず、僕に症状を説明するドクター。なんとなーく分かった事は、大きな病院で検査をしなければならず、この後紹介状を書くから向かいなさい、との事。時間やその他諸々必要な事を聞き、重要な事は紙に書いてもらって部屋を出た。初めての言葉だらけで話を聞くだけで憑かれてしまった僕を後目に、Big Johnはすっかり上機嫌である。人の気も知らずに・・・。

こうして病院を後にした僕らは、目の前にあった薬局へ向かった。しかしここからシェルターまでは遠くなく、しかもこの後はどうやら急いだ方が良さそうだ。薬を僕がもらって帰るから、先に帰ってこの紙をワーカーさんに渡すように言い含め、僕は一人薬局へと入った。

しばらくの後、出てきた僕は音楽でも聴きながらジョギングでもして帰ろうかと思ったのだが、薬局を出てiPodをポケットから取り出そうとしている僕の耳に、何やらおかしな声が聞こえる。

「Jon〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」

そう、彼が僕を待っていたのだ。しかし、こんなところで遠くから大声で呼ばんでも。。。周りにいた人たちがみんなして、僕の事を見ていた。顔から火が出るというのはこういう時に使うものなんだろうな。あー恥ずかしかった・・・。

しかし彼はニコニコしながら、いっこうに気にした様子もなく「僕を待っていたんだ」と嬉しそうに言っていたので、早く帰らなければダメじゃないかなんて無粋な事は言い出せず、色々な話をしながら施設へ戻った。なんというか、とても温かい気持ちになった一日だった。

続く

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2006年3月31日 (金)

それは大きなJohnでした。

僕には乳が二つある。じゃなかった、僕には父が二人いる。じゃなかったって事はないか、確かに二つあるのだが、書きたい事が違うという訳で・・・。

そんなベタベタな書き出しではあるものの、今回はまじめな話である。僕の父は、生物学上すむさん一人なのは確かなのだが、心の父とでも言うべきか、かわいがってくれた人が一人いる。

22歳の春、僕はイギリスへと旅立った。紆余曲折を経て、大切な物を失いながらの出発でもあったのだが、とにかく僕は旅立った。失った物は取り返せないし、ならば何かを未来で得るしかない。元々がお気楽な性格である僕は、既に流れに乗っているからには楽しまねば損だと、気持ちを切り替えつつ日本を後にしたのだ。

最初の2週間をロンドンで過ごし、その後6週間を僕の中での第二の故郷、ヘイスティングスで語学学校に通いつつ過ごした後ロンドンへ戻ってきた。路上の人の施設でお世話になる為だった。

とはいっても僕自身が路上の人になっていたという訳ではなく、路上の人の施設でのボランティアとして派遣されたのだ。僕が参加していたプログラムは、イギリスでボランティアをしようというもので、お小遣いをもらいながら住み込みで福祉施設でお世話をする(お世話になる?)というものだった。

当然福祉施設であるだけに、派遣先は障害者の施設であったりデイホームのようなところであったり、介護系が中心だったのだが、僕は自信の希望もあり路上の人の施設に派遣されたのだ。

ロンドンの中心部であるビクトリアまで自転車で10分ほどと、なかなか良い場所にあるこのシェルターでは、50歳以上の路上の人達が70人ほど暮らしていた。いや、ここで住み始めた時点で「元」路上の人達か。ここで僕は、後にもう一人の父と呼ぶ人に出会った。

彼の名前は、通称「Big John」。同じ通り名を持っていたからか、それとも僕に何か感じるところがあったのか、彼は僕をとてもかわいがってくれた。色々な経歴の路上の人達が暮らすこのシェルターでも、彼の存在感は抜群だった。

何せ名前の通り、体が大きい。聞くところによると、昔はプロレスラーだったらしい、しかもチャンピオンにもなった事があるそうだ。ただの路上の人の与太話ではなく、実際に昔テレビで彼を見た事がある人が何人かいたから本当の話だろう。

そして彼は、昔刑務所にも入っていたらしい。その後遺症で、話す時には必ず叫んで話すというのが彼の特徴だった。レスリングの試合で負ったダメージが元で彼の精神は一部が壊れてしまい、その後はお決まりの転落コースである。

そんな彼には結婚歴はなく、子供もいなかった。だが何故か僕を見た時に突然「父性」をかき立てられでもしたのだろうか、彼はいつも僕を手元に置きたがった。少しでも姿が見えようものならば、遠くから「Jon!!!」と大声で呼ばれ、同僚のボランティアやワーカー達からはさんざん冷やかされたものである。

ある時、長年のアルコールと不摂生がたたり足が浮腫み腫れ上がった彼を、僕が病院に連れて行く事となった。ちょうどその1ヶ月ほど前に、ドイツ人のセバスチャンが同じ事をしたという。どんな様子だったか、気をつける事などはないか僕は彼に聞いてみたのだが、聞かせてくれたストーリーは僕を多いに不安にさせてくれた。

病院に着くなり、まず彼は大声で歌い始めたらしい。「アーイムミスターユニバ−ス♪この筋肉を見よ!!」と、ポージングまで披露してくれたようだ。あれ、イギリスでもドラえもんてやってたんだっけ?ジャイアン??

しかもその後、巨体である彼はクーラーのない部屋に唯一あった冷房器具、扇風機を独占してしまったらしい。彼はもと路上の人であり、入浴の習慣はない。たまーにボランティアがシャワーを浴びさせる程度である。その後は想像つくだろうか・・・。具合が悪くて病院に来たのに、悪臭でさらに悪化する、なんて事になりかねない。セバスチャンは退くように言ったらしいが聞く様子もなく、その部屋は逆ドーナツのようになっていたそうな。合掌。。。

そんな話を聞かされただけに病院に行くのを怖がっていたのだが、タクシーが迎えに来たら行くしかない。渋々という状態で乗り込んだ僕ではあったが、以外にもこのお出かけは楽しいものとなってくれた。

続く

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