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2006年7月25日 (火)

黄金色の思い出。

「とんてき一丁!」

店員さんの声が響いた。晩ご飯を食べそびれた僕は、もうすぐ12時になろうという時間に松屋でハッシュドビーフをかき込んでいた。たまにこうして寄るものの、いつもいつも来る訳ではない。当然メニューも豚丼やカレーくらいしか知らない。新メニューという事でこの日は違うものを試してみたが、定食にどんなものがあるかは知らなかった。

そんな僕の耳に飛び込んできた、「とんてき」という言葉。何ていう事はない、ただの豚を使ったステーキの事。しかしこの言葉は、まるで魔法のように僕の中にすとんと落ちてきた。

「おじいちゃん・・・」

気付くと僕はつぶやいて、思い出の洪水に飲み込まれていた。まるでドミノ倒しをするかのように、一度甦り始めた思い出は次々と僕の頭にあふれてくる。その思い出の中にいる僕は、まだ小学生の僕。幸せそうに笑っていた。

今は亡き僕の祖父、母方の祖父なのだが、彼ほどの人生を送れる人が果たしてどのくらいいるのだろうか。本人がどう感じていたかは分からないが、見ていてそう感じるくらい充実した人生を送っていたと思う。

彼は長い事電力会社で働き、定年で退職するまで一度も仕事を休まず、遅刻もなかったという。東北地方の電力会社、実際はとてもハードな仕事だったらしい。雪の重みで電線が切れた夜、山の中へも分け入りその修復に向かった祖父。どんな時間の呼び出しにでも、不平一つ漏らさず出向いたその祖父は、人に誇れる立派な人だったと思う。

そして定年退職後、祖父は誰よりも楽しんで遊んでいた。海外に出かけたり仲間と卓球クラブを作って週二日は汗を流し、誰にとってもヒーローだった。テンガロンハットをかぶり革ジャンを着た祖父は誰よりもかっこよかったし、僕は絶対祖父のような人になると思っていた。

岩手に住んでいた祖父にとって、なかなか会えない、千葉に住む娘と孫。たまにしか会えないからこそ余計に大きな愛情を注いでくれていたのだろう。たまに祖父母は二人で車に乗り、祖父の運転で千葉まで遊びに来た。無邪気な子供だった僕は、大好きな祖父にかじりつき片時も離れなかった。「お祖父ちゃんから産まれた」とはこの頃の僕の口癖である。

そんな大好きな祖父だったから、長期休みの度に岩手へ僕は遊びに行った。小学生にして既に一人で新幹線に乗り、ちょっとした冒険をした僕を、彼は誇らしげに駅で出迎えてくれた。

行く度に一週間ほど滞在していたのだが、この時も僕は祖父から離れようとしなかった。従兄弟とも遊んでいたが、朝は祖父と一緒に早起きして朝市に行き、夜はカブトムシを捕りに山へ出かけ、昼は従兄弟や叔父達も一緒に川へ行き、どこへ行くにも一緒だった。夜も布団を並べて横になり、あれこれと思いつくまま話しをしたものだった。

元々根が単純である僕は、好きな人から影響を受けやすい。もしそれが自分の感性にも合うものであれば、いっぺんで虜になってしまう。多感な小学生時代、僕の心を鷲掴みにしたのはチャップリンだった。

祖父の部屋には大きなテレビが置いてあり、それで深夜仲良くチャップリンを観た。衛星放送で流れていた映画の数々を二人で観ながら、時には大笑いし時にはしんみりとし、遅い時間まで夢中になっていた。

僕の好きな映画5本を選ぶとしたら、間違いなく「街の灯」と「キッド」はランクインするだろう。僕が比較的無口な人間になったのも、無声映画がこの時から好きだったという要素が大きく関わっているに違いない。

続く

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コメント

素敵なおじいちゃんだね~~。
Jonもおじいちゃんみたいになるよ。
ところで、トンテキとおじいちゃんの関係が気になる~~~!!

投稿: シポロ。 | 2006年7月25日 (火) 23時24分

今でもファンなんだよね。我が祖父ながらかっこ良かったなぁ。
あんな人になれたら幸せだし、そんな自分になれるよう頑張らねばね。ありがとう*

続きはもう大体書けているんだ。あとはタイミングを見計らってアップするから、楽しみにしていておくれ。

投稿: Jon | 2006年7月25日 (火) 23時53分

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