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2006年4月28日 (金)

ジャンキーオンマイバック。

今日バイト先であった事。

・次長課長の河本さんがいた・・・らしい。見た事無いからわからん。

・次々と皿やら焼酎の瓶(手つかず、坊津。芋焼酎)を割りまくった。

・中年のおじちゃんが、金髪でむちむちの女性と一緒に飲んでいた。

次長課長は、何だか皆が噂してた。何やら業界人らしき人達と飲んでたし、やたらと人を遠ざけようとしてたから多分そうなんかな、くらい。

もう割る事に関しては、今日で極めたくらいに割った。目に見えるもの全てを割るくらいに割った。夜の校舎の窓と同じくらいに割った。スタン・ハンセンのアゴくらいに・・・もういいや。とにかく割ったのだ。段々割る事が快感になってきたかも。。。いやいや、今なら引き返せるはずだ。

そしておじちゃん。もう皆の話題を独占していたおじちゃん。一緒にいたのがすごく綺麗な金髪の女性で(綺麗なのが髪かその女性かは言わないでおくけど)、カッコもものすごくセクシィなカッコ。触れなば落ちん、といった風情で、色々と皆して妄想を膨らませていたようだ。

しかし、妄想力で僕にかなう訳が無い。そこらのまだ経験の浅い奴らが妄想する世界とは、ひと味違う世界を見せてやろうではないか。

まず設定。殆どの人は、お金で買ったんだろうな、と予想。しかし僕の予想はちょっと違う。きっとこんな世界が広がっていたはずなのだ。

彼は仁科剛 47歳。ツヨシという外見とは裏腹に、ひょろりと貧弱な、どこにでもいるくたびれたサラリーマン。今の会社でも、出世の道はとうに閉ざされ日々をただ流れていくだけ。16年間連れ添った女房との間には女の子が一人、現在高校2年で反抗期。

家庭にも会社にも居場所はあまりなく、とりたてて趣味も無く友達もいなかったので、会社と家をただ往復するだけの日々。たまの楽しみとして、月に2回1人で居酒屋に行く事がある。

一見無能そうな彼だったが、実は語学力に関しては人以上の能力を持っていたと言えよう。5カ国語をきちんと使い分け、中でも得意だったのはスウェーデン語だった。

そんな彼がここにいる理由、それは単純な人助けがきっかけだった。仕事が終わり、夜になろうかという新橋。その人ごみの中に剛はいた。疲れた体を引きずりながら、駅へ向かっていた彼の耳に、昔懐かしいスウェーデン語のつぶやきが聞こえてきた。

「もう、どうやったら電話をかけられるっていうんだろう。かけ方も分からないし、何より公衆電話というものがどこにも見当たらないじゃないか。こうして歩きながら携帯で話している奴らはいいさ、当たり前の事をしてるんだろうから。でもさ、少しはこっちの見にな・・・」

「もし、お嬢さん。どうかされたかな?」

「え、あなたスウェーデン語話せるの?だとしたら今のつぶやき聞いてたの!?」

「申し訳ないが、少し。」

「何だか恥ずかしい事聞かれちゃったわね、でも言葉がわかるのならとっても助かる。私電話かけなきゃいけないの。ね、どうやったらいいの?」

「電話はどちらへかけるつもりかな?国内であれば私の携帯を、それ以外であればかけ方を教えよう。」

「うん、国内なの。ちょっと兄と連絡を取らなきゃいけなくて・・・。お願い、あなたの携帯を貸して!」

「ではこれをお使いなさい。使い方は分かるね?」

「えぇ、何とか。ありがとう、ちょっと話させてもらうわ。」

「KプFHチゴピアJSノフィHgじょあmtpmら、g・・・」

「・・・ありがとう、とっても助かったわ。」

この後も一大スペクタクルで、マフィアが出てきたりアクションシーン満載だったり、お色気シーンなんかもあったりしたのだが、こうして書く気力が持たない。。。エンディングの、おじさんのセリフだけ紹介して終わってしまえ。

「湧き出した水が、やがて大きな湖となった。その湖を、共に誇ろう。」

何てこった。相当に頭がやられているらしい!あ、キーボードの間から妖精が・・・。まてぇ、うふふふふ。

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2006年4月26日 (水)

我歌う故に我あり。

実は今、mixiでちょっとした日記を書いている。そこでふと思いついた事が、何かを企画ものとしてやってみようかという事。とはいえ、とっても独りよがりな企画になるだろうから、その間のアクセス数は激減間違いなし、どうしようという境界にいたのだ。

ただ僕も色々と日々の事を書き連ねる事に加え、何か新しい事に挑戦したくもなった。この忙しい時期に何を言うかという声も自分の中にあるのだが、火が点いたものはしょうがない。よってここに、その企画を高らかに宣言しよう。

「毎週一人カラオケ!」

内容は至ってシンプル、その日に歌った曲のリストとちょっとした感想を書くだけ。しかも気に入った曲は何週にもわたって歌い続けるといった、斬新さのかけらもないこの企画。とりあえず飽きるまで続けようかと思うので、しばしお付き合いいただこう。その合間に、ちょこちょことテキストも書いては行く予定。

という事で始まった、第1回一人カラオケ!会場は渋谷の歌広場、使う機種はサイバーDAM。このサイバーDAMがまた素晴らしい。結構マイナーな曲まで入っているし、Bon Joviの曲数が豊富というのは何にも勝る利点だと思う。豊富な曲数とくれば、やってみたいのはやはりライブの再現。あんな歌やこんな歌も歌って、あの日のライブを再現!というのをやってみたい。

今回はそんな思いから、伝説となった2001年3月28日横浜アリーナのライブを再現してみようと思う。僕はこのライブに行く事ができなかった。今となっても心残りの一つである。まさか、彼らがバラードなしのライブをやるなんて!その悔しさを、今回は自分なりに消化する為の試みだった。

部屋に到着してウーロン茶を注文すると、早速僕は曲を入れ始めた。まずはこの日のセットリスト。

1. One Wild Night
2. Bad Medicine
3. Livin' On A Prayer
4. You Give Love A Bad Name
5. Keep The Faith
6. It's My Life
7. Blood On Blood
8. Something For The Pain
9. Born To Be My Baby
10.Tokyo Road
11.Just Older
12.Runaway
13.Wild In The Streets
(14.Next 100 Years)

1時間という制約があったので、この日は以上13曲。入ってなかったHey Godと、とある事情により入れなかったI'll Sleep When I'm Deadはご愛嬌。とりあえずここまでを一気に歌いきってみた。いやぁ、気持ち良いのなんのって。下にそのレビューを載せてみよう。

オープニングは、まずちょっと期待を裏切るような陽気で軽いメロディー。おや?と思った次の瞬間ギターの音が響き渡り、One Wild Nightでショウがスタート。いきなりJonは跳ね回り、手を振り回してノリノリだ。喉の調子があまり良くないのか、高音部がちょっと不安定だがそれでもこのテンション、上手い下手ではなく感じる感じないの問題なのだ。

続いて始まったBad Medicine、ここでもJonは止まらない。やっぱりあのセリフ、「Is there a doctor in the house!!?」から始まったこの曲でも、(架空の)オーディエンスを煽ったりマイクを向けたりと、会場は(一人だけだけど)一体感に包まれる。

そして次のイントロが始まった瞬間、会場のボルテージは最高潮に達した(気がした)。トーキングモジュレーターの音とともに始まったLivin' On A Prayer、もう鳥肌が立つほどの名曲である。喉の調子のせいからか、転調後のコーラスはほぼオーディエンスに歌わせていた(つもりだった)が、そんな事でこの曲の良さは色あせたりしなかった。

ここでMCが入り、観客(ウーロン茶を持ってきた店員さん)をひとしきり煽った後、流れるようにしてYou Give Love A Bad Nameへ。ステージ上(3帖ほどの狭い部屋)を所狭しと(本当に狭い)動き回り、元気いっぱいに歌い上げるJon。最後のパートも無事オーディエンスが歌い上げる(事にして)と、とっても満足そうな笑みを浮かべていた。

熱狂のライブは続き、ヒューがイントロを弾き始めると、Jonはマラカスを振り回しKeep The Faithを歌い始める。アクションにも熱が入り、マラカスを取り落とすシーンもあったが、そこにすら余裕を感じるのは、これが「楽しい」ライブだからだろう。もう最高である。

そうして流れはついにこの曲へ、諦めない事を力強く歌い上げたIt's My Life!ドラムに合わせて拳を突き上げ、It's My Lifeと叫ぶ彼ら(想像の中で)は、誰よりもロックしていたと言っていいだろう。

ライブも中盤にさしかかり、ここで個人的にとても好きな歌が始まった!変わらぬ友情を歌った名曲、Blood On Bloodである。男なら誰しも、悪さをも共有した親友と言う存在、それに憧れるのではないだろうか。友達は永遠に友達と歌うJonはとても真剣だった。

この辺りから時間が押してきてしまったのか、最初の部分がテンポアップされて短縮されたり最後が切られたり、一気に詰め込もうとし始めた。しかしそれでも山場はあり、一番のハイライトは最後のWild In The Streetsだったと思う。拳を突き上げこれでもかと飛び跳ね、声を張り上げて歌うその姿は、(もしいたら)見る者の胸を打った。歌っている事がいかに幸せか、体全体で表現しているその姿は、ロックを愛する一人の青年だった(当たり前だが)。

こうして最後、演奏が終わっても止まらない(自分の)声に、エレベーターの中から中継(?)のようにしてNext 100 Yearsが始まる。短くはあったが、きっとお礼の意味があったはずだ。気持ちのこもったこのアンコールで、今日は幕を閉じた。

全体的に音が薄っぺらい曲が目立ったり、喉の調子が良くないせいで高音部が安定しない、などの問題はいくつかあったと思う。それでも、こんなに熱く、ハイに歌える人は他にいないんじゃないかと思う。そう、この熱さがあれば後は些細な問題となってしまうのだ。

この非日常、どうやら癖になってしまったようだ。

という具合でのセルフレビュー。うん、最悪の文章だ。。。3週間もすれば、1日のアクセス件数0とかも夢ではないんだろうなぁ・・・。

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2006年4月21日 (金)

友達はいいもんだ。

今日は久しぶりに、1年半ぶりくらいにシポロとTさんに会ってきた。二人とも変わってないなぁ。なんだか昔の雰囲気そのままで安心してしまった*

居酒屋に行って昔の話をあれこれ。なんだかイギリスにいた時が懐かしい。第二の故郷ヘイスティングスで、こんなにも素晴らしい仲間と出会っていたんだなぁ。こうして良い人たちに出会えただけでも幸せというものです。

しかし彼らも仲が良い。少なくとも4年以上は一緒にいるはずなのに、とってもらぶらぶなご様子で。見ているこっちまで温かい気持ちになったし、良いものを分けてもらったなぁ。仕草の一つ一つにも愛情があるようで、あぁ、えぇなぁとおじちゃんほんわかしてしまった。

その後ちょっとしたサプライズが。なんとなんと、イギリスで(主に当時の彼女が)よく食べていたチョコバー、マーズを一袋お土産で持ってきてくれたのだ!甘い物好きの僕としては、もおうたまらない!!これからは一日一本、いただきます*

そして、Tさんがちょっとしたマジック(?)を見せてくれたのだ。・・・えーと、こんなの初めて見たぞ?!写真まで撮ったのだけど、これをここに載せても良いものかどうか。。。とりあえず実況するとしたらこんな感じ。

え、いや、それは無理でしょ。おぉ?うそ、本気で?!す、すごい!!こんな事できるのか・・・。ほほぅ。いや、すごいわ。ナンマンダブナンマンダブ。

という状態(何が何やらさっぱり分からんが)で、ちょっと得した気分になった僕。写真はシポロにメールで送るので、そちらでは公開されるかも。興味があればぜひチェックを!

他にも色々と話をして、楽しかった時間はあっという間に過ぎてしまった。フランスから今日着いたばかりというのに、わざわざ会う時間を空けてくれてありがとう!バイトを休んで本当に良かった、次はフランスでまた会おう!!

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2006年4月19日 (水)

Tの悲劇。

ウォシュレットこそ、天使で悪魔だ。

僕はその事を、今日ハッキリと知ってしまった。一般的には、痔主さんとかに優しく、ハイテクで害が無いと思われがちだろう。

しかし、奴はその温和な顔の下にとんでもない武器を隠しているのだ。騙されてはいけない。

先日の話である。僕はとあるデパートの、トイレの個室で用を足していた。前日に食べた辛い物の影響で、痛いというか熱いというか、そんな状況だったのだ。
無事に出産を終え、洗い流そうとしたその瞬間、僕のデリケートな部分が火を噴いた。高めの温度の温水が直撃したのである。

「んぬぉっっっ!!!」

思わず大声で叫んでしまった。トイレの中にはまだ人が何人もいたというのに。。。穴があったら入りたかったけど、トイレの穴じゃなぁ・・・。

痛いほどの視線を浴びながらトイレを後にした僕は、誰よりもかっこ悪かった。

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2006年4月15日 (土)

ラテンの血が騒ぐ。

岩手から従姉が来た。目当てはイタリア大使館らしい。そう、この従姉はどうやらイタリアへと留学するらしいのだ。この前僕が帰国したばかりなのに、もうイタリアへ次の留学をする者が控えているとは、僕の一族もなかなかやるではないか。

余談ではあるが、僕は生き様がイタリア人だと言われた事がある。イタリア人のテーマ、「食べて歌って恋をして」。惚れっぽい訳ではないが、恋人に対する気持ちの表し方などはまさに情熱的イタリア人のよう。食べる事は大好きだし、歌う事なんて言うまでもない。僕はイタリア人なのだ。

話がそれてしまったので元に戻そう、従姉の話だ。彼女は独力で大金を貯め、今回念願だったイタリアへの長期留学2年間の旅へと出発する。英語はからきしダメ、イタリア語なら問題無しという日本の英語教育の無意味さを見事に表した存在とも言えると思う。5行の短い英文が学校から英語で送られてきて、それを読むと簡単な英文で案内が書いてあった。

意味を教えてあげるとひどくほっとした表情を見せたが、こんな状態で飛行機の乗り換えなんかは大丈夫なんだろうか。出口ってなんて言うの?と聞いてくるくらいだし、彼女はひどく方向音痴でもある。地図を見ても違うところへ進むし、どうやら自分がどこを向いていてもそれが何故か北だという思い込みがあるらしい。

うーん、この先がとっても不安ではあるが、でも何とか生きてはいけるだろう。むしろサバイバル技術を身につける事だってできるかもしれない。明るい未来がありますように。そして僕がイタリアへ行く時には宿となってくれますように。

GOOD LUCK!!

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2006年4月10日 (月)

最高の一日。

ようやく家路につき、プログラムを見ながらライブの余韻に浸っている。やっぱり、BON JOVI最高だなぁ。

そんな書き出しでわかる通り、今日はBON JOVIのライブがあったのだ。2時間40分くらいの長めのライブをやってくれて、大満足なんだけどまだ聞きたい曲もあって…。こんな想いをさせてくれるバンドはなかなかいないはず。改めて彼らの凄さを実感した一日だった。

そんなライブにて、思わぬ形でチャンスが訪れた。

僕らの席はアリーナC7ブロックの1番端で、ちょっと遠いなぁと思っていた。そしたらそこに「もし」と声をかけてくる女性。席でも間違えたかと思い振り向くと、頼みがあるという。

なんだろうと思い話を聞いてみると、知り合いがこの近くなので、席を交換してもらえないか、との事。見てみると僕らの席よりも良い席じゃないか!気持ち良く替わりましたとも*

そしたらなんと、最初の曲をジョンがアリーナ中央で歌い、大興奮のアリーナをステージに向かって歩いて行くではないか!しかも、僕らの席は通路のすぐ脇で、こ、この手で、なんとジョンを触ったのだ!!

一昔前の女の子なら、「もう手を洗わない!」と言い出しそうな状態、こんな近くで彼を見る日が来るとは…。

その後もライブは大盛り上がりで、最近はあまりやらなかったRUNAWAYやIN THESE ARMSなんかもやってくれ、WANTED DEAD OR ALIVEとLIVIN' ON A PRAYERではオーディエンスの大合唱。

リッチーもギプスは目立たずちゃんと演奏できていたし、ジョンの「年取ったし辛いんだよ、明日は病院行かなきゃ」って台詞は面白かったし、さいっこーのライブでありやした*

きっと、今日のライブは僕にも音楽をやれというメッセージに違いない。帰ったら早速ギターの練習だ!






と思ったらプロジェクトを急がないといけないようで、ギターはお預け。あぁ、僕のデビューが遠退く。。。まぁもともとありえんけど。

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2006年4月 3日 (月)

遥か彼方で、安らかに。

僕と彼の思い出で、一番印象深いのがこの病院へ行った時だ。他にも色々な思い出が、小さな事ならそれこそいくつかあるのだが、内容を選ぶ事ができないので今は書かない。それでも、色々な呼び方で僕を呼んでいた、あのBig Johnの声だけは今でも覚えている。

「Jon〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」(通常バージョン)
「Jonっ!!!」(短くきって叫ぶ。いたずら心があるときはこっち)
「JonJonJonJonJonJonJonJonJon・・・」(ささやくように繰り返す。これは?)

などなど。実に豊富なバリエーションで呼んでくれたものだ。同僚達の間ではいつもその話で盛り上がっていた。今日も叫んでる声を聞いたよ、お前もか、俺もだよ、などなど。彼はちらっとでも僕の姿が見えようものなら、大声で僕の名前を呼んだ。そのおかげで何度心臓が止まりかけた事か。。。あれから僕は、きっと心臓も強くなったに違いない。

そんな数々の思い出を残しつつ、僕らにもやがて別れの時がやってきた。ボランティア期間が終了し、帰国と相成ったのだ。はっきりいって、帰国などしたくなかった。ずっと残っていたかった。気の良いボランティア仲間、快適なロンドンの生活。自由と可能性が開けていたはずであり、僕にとっては最高に居心地の良かった場所。それが時間というたった一つの要因で離れなければならないなんて・・・。

帰国の前、最後のシフトの時に僕はBig Johnと話をした。ごく短い、それでいて心に残る会話。思いがあふれて自然と無口になってしまったが、彼は最後に念を押した。

「いいかJon、夢、そして心だ。」
「うん、わかったよ。はっきりとした形の夢はまだ無いけど、形になったら絶対それをかなえてみせる。その時がまたあなたに会う時だ。」

こうして僕らは再会を誓い、僕は日本へ帰国した。まさかその会話が最後の会話になるとも知らずに。

一年の時を経て帰国した日本は、どことなく重苦しい雰囲気が漂い人々は憑かれきっていた。こんな状態だったかと、自分の記憶を辿ってみたもののはっきりと思い出す事ができない。日本の社会が病んでいる証拠か、と思いはしたが、僕だってこの社会で生きなければならない。

デジカメの販売員を始めた僕は、段々と日常に溶け込んでいった。そうしているうちに日々の忙しさにまぎれ、僕の夢はより形をあやふやなものへと変えていく。焦りと不安、僕はどうすれば良かったのだろう。

しかしふとしたきっかけで僕はその世界から足を洗い、留学の会社で働く事となった。とてもやりたい、と思って入った会社だった。未来は開けたかに思えた。朝から一生懸命働き、雑用もこなしながら送る日々。そしてそんな日々に徐々に忍び寄ってきた暗い影。上手く回っていたはずの歯車はきしみ悲鳴を上げ始め、そんな時イギリスに残ったコリアンの友人からメールが入った。

Big Johnが息を引き取ったという。突然の訃報だった。あの、大きな声で僕を呼んだ彼は、夢は何だと一生懸命聞いてきたあの彼は・・・。思い出が大きな波となって僕を襲った。早すぎる!まだ、これからだったじゃないか。再会する約束だって果たせていないし、僕の夢を見届けてくれるんじゃなかったのか?!

興奮の波が去った後、僕は静かに考えた。その時壊れかけていた、当時の彼女との関係。僕のその先。どうしてもなじめない会社、その仕事。このままじゃいけない。夢を追う事は、今や彼との最後の約束なのだ。それを果たさずして、何が男か。

数ヶ月後、僕はすべてのしがらみを断ち切ってアメリカへ渡った。エンジニアのトレーニングを受ける為である。ハードではあったが充実した3ヶ月だった。色々な事に気づく事もできた。人生の中でも、最も大きな何かを得るきっかけを作れたと思う。

今、僕には夢がある。きっとあなたに聞かれたら、胸を張って「Yes」と答えるだろう。ねぇBig John、見えているかな?遠く離れた極東の地で、僕はあなたとの約束を忘れちゃいない。心を大切に、夢を追って生きているよ。喜んでくれているかな?

あなたからもらったもの、あなたが教えてくれたもの。僕は自分の子供ができたら(既に名前は決めてあるのだけど)伝えたい。夢、そして心だ、と。その子があなたに似ていたらちょっと困るけど、それでもあなたのように逞しく育って欲しいと思ってしまう。もしレスリングをやりたいと言い出したら、僕はどうするだろう?

人生何が起こるか分からない。僕の未来はまだ分からない。それでも僕は夢と心を大切に、あくまでも僕として生きる。見守っていてくれるよね、いつまでも。

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2006年4月 2日 (日)

Is there a doctor in the house?!

病院に着くなり彼は、開いている一つの椅子に腰を降ろしたが、どこも二人掛けの席は空いていない。内心ほっとしながら向こうに座ってるからね、と言って行こうとした僕に、彼は叫んだ「Jon---------------------------!!!」

びくっとした僕&周りの皆様。戻ってみると、彼はかぐや姫のように、この例えは似合わないな、睡眠不足の子供のように無理難題を吹っかけてきたのだ。

ここに座れ、と。

もちろん両隣は空いていない。それなのにその椅子を指差し、ここだ、と言うのだ。「ここ?」と聞き返すと、何を質問する事がある?とばかりに頷くではないか。さすがにそれはできないし、仕方なくたったまま彼と話して順番を待つ事に。

周りのおばちゃま達からは、大変ね、あなたもという温かいような居心地の悪いようなまなざしをいただいていた僕。この時点で帰ってしまいたかったのだが、こんな状態でBig Johnを放っておく方が危ない。覚悟を決めて僕は彼の前に立ち相手を始めた。

しばらくくだらない事や支離滅裂な事を言っていたが、不思議とそれが心地よいと感じられるようになってきた。理由は今でも分からないが、きっと彼と僕との間に何か穏やかな風が吹いたのだろう。僕はだいぶリラックスして話を続けた。

そのうちに、何故か突然彼が真顔になり、僕にこんな質問をぶつけてきた。

「Jonよ、お前は大人になったら何になりたい?」

この時僕は22歳で、夢を語れるほど若くはなく、将来がしっかりと見据えられるほど大人でもなかった。元々その何かを探したい気持ちもあってイギリスへ渡った僕である。この時点でも将来の方向など決まってはいなかったし、ましてや夢など・・・。

返事に窮してしまった僕を見かねた彼が言った。

「何かあるだろう、医者だとか弁護士だとか・・・。お前さんには何もないのか?俺は昔レスリングをやっていた。それは強かったんだぞ。チャンピオンにだってなった。でもそれが何故か分かるか?」

僕を覗き込む彼の目は真剣だった。強かったから、自分が好きだったから、色々な理由が浮かんできたが、いつになく真剣なその目の前では何一つとして言葉にする事はできなかった。仕方なく僕は、ゆるゆると首を振った。

「夢があったからだよ、夢が。俺は強いチャンピオンになって、絶対に成功してみせるといつだって思ってた。その思いの強さが俺をチャンピオンに押し上げたんだ。」

真剣に話す彼の顔は、とても50を越えた路上の人には見えなかった。

「Jonよ、夢を持て夢を。お前はまだ若い、何でもできる可能性がある。しかもお前には何よりも大切なものがあるんだ。何か分かるか?」

再び首を振る僕。自分の、何よりも大切なもの。自分が何よりも大切にしているものではなくて。

「心だよ。お前は本当に良いやつだ。こればかりは成長するうちに育ててこなければいけないものなんだが、不幸にして育てているやつは多くない。お前にはそれがあるんだよ。今から欲しがってるやつはいっぱいいても、ここから手に入れるには大変なものをな。」

こころ、か。僕は自分の胸に手を当てた。正直に言ってしまえば、わからない。自分のどの辺りが、そんなに人とは違う何かなんだろうか。ただ、それでも彼が僕に何か大切な事を伝えようとしているのは分かった。彼は更に続ける。

「大切にするんだぞ、心を。どんな時でも、な。」

ありがとう、Big John。僕はそうつぶやいて、彼の肩を叩いた。ちょうどその時名前を呼ばれ、僕らは診察室へと入ったのだが、残ろうとした僕を彼は強引に中へ引っ張っていってしまった。そしてドクターに一言、

「俺は難しい事はいっさい分からん。ここにいるジェントルマンに話してくれ。」

え?えぇ?!ちょっと待ってくれ、僕は日本人でそこまで英語が得意ではないし、ましてや専門用語なんて・・・。無理だって、誰か辞書をここへ!!

そんな僕の心も知らず、僕に症状を説明するドクター。なんとなーく分かった事は、大きな病院で検査をしなければならず、この後紹介状を書くから向かいなさい、との事。時間やその他諸々必要な事を聞き、重要な事は紙に書いてもらって部屋を出た。初めての言葉だらけで話を聞くだけで憑かれてしまった僕を後目に、Big Johnはすっかり上機嫌である。人の気も知らずに・・・。

こうして病院を後にした僕らは、目の前にあった薬局へ向かった。しかしここからシェルターまでは遠くなく、しかもこの後はどうやら急いだ方が良さそうだ。薬を僕がもらって帰るから、先に帰ってこの紙をワーカーさんに渡すように言い含め、僕は一人薬局へと入った。

しばらくの後、出てきた僕は音楽でも聴きながらジョギングでもして帰ろうかと思ったのだが、薬局を出てiPodをポケットから取り出そうとしている僕の耳に、何やらおかしな声が聞こえる。

「Jon〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」

そう、彼が僕を待っていたのだ。しかし、こんなところで遠くから大声で呼ばんでも。。。周りにいた人たちがみんなして、僕の事を見ていた。顔から火が出るというのはこういう時に使うものなんだろうな。あー恥ずかしかった・・・。

しかし彼はニコニコしながら、いっこうに気にした様子もなく「僕を待っていたんだ」と嬉しそうに言っていたので、早く帰らなければダメじゃないかなんて無粋な事は言い出せず、色々な話をしながら施設へ戻った。なんというか、とても温かい気持ちになった一日だった。

続く

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