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2006年2月26日 (日)

すむさん。

父の話だ。彼はとってもおかしなというか、お茶目な人なのだ。とっても無口で、何を考えているのか分からないところもあるが、大きくなると彼の良さが分かるようになった。

人と、ものすごくずれている。一緒にいて行動していて、とっても楽しいのだ。本人はいたって真面目に、それでいて気楽に生きているのだが。ほのぼのした雰囲気は、きっと彼が持って生まれた天性だろう。僕にもそれは少し受け継がれているようだけど。

そんな彼に育てられた僕は、幼い頃から信じていた常識を見事に覆された瞬間を何度も見てきた。一つ、世の父親は、寝る時にタオルを海賊巻きにして布団に入らない。一つ、世の父親は、冬は寒いからと言って、肌着を脱がずにそのまま湯船に入らない。一つ、世の男性は、最初のデートでポルノ映画を観に行かない。しかもそれがポルノだと気付かないなんて無い。

数々の伝説をすむさんは作ってきたのだが、その中でもトップレベルのものがある。後にスーツ事件と呼ばれるものがそうだ。

21歳の冬、僕は就職をしようと遅い活動を始めた。それまで特に何も決めていなかったのが、免許を取って以来車にハマっていたため、何かメカニック的なものをできるところへ行きたいと考えていた。そして、その時僕は良いものを見つけたのだ。

自宅からほど近いところにある、キャンピングカーの会社。未経験可、とあったので、一も二もなく応募した。当然面接に行く事となり、緊張と期待の入り交じった思いで前日の夜、スーツに袖を通してみた時の事。

まず最初からしておかしかった。どうしても、見つからない。僕のスーツがどこを探しても無いのだ。おや?と思いながら父親のところを見ると、そこで僕のスーツがかかっていた。一安心をして、袖を通した瞬間僕の目に飛び込んできた光景。

袖が七分丈になっている!!慌てて父親に確認したところ、「そういえば、ちょっとスーツに祖で通したら大きかったから、サイズ直しに出したなぁ。お父さんちょっと縮んじゃったみたいだ。」とのお返事。

彼は既に50代も後半、やや痩せ型で170cmほど。僕は178cmで胸板厚い。・・・どんなに時が経てば、そんなに胸周りがぶかぶかに、そして袖口が10cm以上も長くなるというのだ?!あまりの事に呆然とする僕、堪えきれず笑い転げる姉。我が家はその瞬間、精神病院と間違われてもおかしくない状況だったと思う。

時間は既に夜9時、田舎では既に店など閉まっている。スーツなど買いようがないのだ。しかし、そこで強かったのは母だった。近くにあった紳士服の青木に電話をかけ、事情を説明して、というか無理を言って開けてもらったのだ。急いで出かける僕らに、彼はさすがに責任を感じたのだろう、これで買ってこいと10万円を渡してきた。

10万?!おおぅ、瞬時に出てきたこの大金は一体??聞けばこれは彼のへそくりだと言う。きっと内心では動揺していたのだろう、とりあえずあるものを全部渡す!という感じだったのだが、ありがたくそれを受け取りすぐさま店に行ったのだ。青木で10万もするスーツなど買う訳が無い。こうして父にへそくりがあった事は、母にまでバレてしまい、おつりはしっかり回収されてしまった。

僕の父、愛すべきすむさんの話である。今日も家族で食事に行った後、雨が降っていたのでジャケットのジッパーを上げようとしたすむさん。ダブルジッパーのその下の方を持って引き上げたお陰で、首まで上げたのに下は全開。あぁ、癒されるなぁ。

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2006年2月24日 (金)

友達はいいもんだ。

好きなものにはのめり込む傾向がある。ロック然り自転車然り料理然り。ロックの例を挙げると、高校の時からのめり込んだ、今では神と崇めるBon Joviのブート版を近くのCDショップで買いあさり、60枚近くあったBon Joviのコーナーを2ヶ月で空にしてコーナー自体を無くさせてしまった。そして2001年の来日時には、大阪・名古屋・東京と3つのドームを追っかけてまわった。かっこもロックなかっこをしているだけにすぐ分かると思う。No Rock No Life。

こんな凝り性の僕が、一つ好きな海外のドラマがある。フレンズである。

シーズン9まで揃え、残りは10のみというところで金欠になり、今のところ最後まで買えていない。ただもう少しお金に余裕が出てきたらすぐアマゾンで注文するだろう。自分の行動が手に取るように分かるところが何か嫌だ・・・。

このドラマは結構何度も見返したお陰で、色々と細かいシーンを覚えていたりもする。でもその真似をしても、誰一人気付いてくれないところが悲しい。。。ジョーイダンスやチャンドラーの真似、何をやっても気付いてくれないのは相当空しい。誰かフレンズについて熱く語る相手が欲しい!と思っていた僕の元に、タイムリーにフレンズの話題が飛び込んできた。

僕は今、新橋の居酒屋でバイトをしている。今日も遅くまで働いていたのだが、そのシフト中に奇跡が起こった。何と何と、女の子の二人連れが、フレンズのDVDをラップトップで観ていたのだ。

えぇと、冷静に居酒屋でフレンズなんか見るなよ、という突っ込みをする人は嫌い。好きならどこだろうと、観たい物は観たいんだ!そう、きっと彼女たちは今日、大好きなフレンズのDVDを買ってきたばかりに違いない。きっとこんな感じ。

彼女は典子、OLで彼氏はいない24歳でちょっと引っ込み思案。もう一人は喜美、同じくOLで彼氏はいない25歳、典子とは違いとても社交的。最近、仕事も忙しくなってきて自由な時間も取れず、心に隙間を感じているところ。一人暮らしの部屋に帰っても、ただ疲れて寝るだけの毎日。そんなところに、このドラマに出会った。

きっかけは喜美が運んできた。どこにそんなエネルギーがあるのかと思う程、小柄でも精力的に活動する喜美は、交友関係の幅も広く色々な情報を持っている。そんな喜美が、最近面白いドラマにハマっているという。恐らく疲れてすり切れてきた典子に気付いていたのだろう、これ、観てごらん!と手渡したフレンズのファーストシーズンDVD。聞けばコメディだという。やっぱり優しい、この子。私の事ちゃんと見ててくれたんだ。

久しぶりに温かな気持ちになった典子は部屋に帰ると早速DVDを見始めた。・・・何これ、面白いじゃない!あっという間に虜になった典子は、次の日喜美を夕食に誘い出した。

会社帰りにまずは二人でDVDを買い、仕事の為に持ち歩いているラップトップで観ようという話になった。二人の家は離れていたので、こうするより他に一緒に観る手は無い。二人が向かったのはチェーンの居酒屋だった。

慌ただしくオーダーを済ませると、早速DVDをセットした典子。カウンターにラップトップを据え、ビールと大好きな手羽先が運ばれてきて準備は万端である。早速再生ボタンを押し、彼女たちはドラマの中へと入り込んでいった。

最初のオープニングがあり、歌が流れたところでひとまず乾杯をしたのだが、その時に彼女たちを見つめる目に典子は気付いた。"So no one told you life was gonna be this way〜♪"と流れ始めた時に感じたその視線。見回すと、一人の店員が熱心にこちらを観ている。どうしよう、ここで観たらまずかったかな?と思ったが、どうも違うようだ。

彼は特に注意をする訳でもなく、じっとこちらを見ている。もしかしたら、あの人もフレンズが好きなのかな?だって、あの目。見逃すものかと強い意志を秘めたあの目。そんなに熱心に見つめられたら私・・・。え、これって、もしかして?こんなところで、まさかそんな出会いが??やだ、どうしよう!

・・・と、ここまで妄想したところで店長に叱られた。。。そらそうだ、仕事そっちのけでじっと観てるんだもの。さよなら、僕のフレンズ仲間。

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2006年2月19日 (日)

ご無体な・・・。

今日は久々に、某都内カメラ量販店で働いてきた。約1年振りの復帰である。久しぶりに入った売り場は、何と言うかとても居心地が良かった。今日は僕が以前常勤で入っていて、とても地獄のような日々を過ごしていたところだったのだが、なんとこの環境が変わった事か!

お前の体なら俺の拳にも耐えられそうだなと、入った当初から度々その拳を見舞われた主任のNさんが別の店へ既に移動していた事が一番の要因かもしれない。売り場も程よく狭く、とてもお客さんと話しやすかったのだ。

もともと丁寧な接客をするタイプではあったので、今日一日の販売応援ではあったが名刺を求められたりと、客商売の楽しさを再度実感した一日だった。

しかし、この店に来るとどうしても尻をブロックしてしまう自分がいる。昔ここにあった危機が、未だに僕の脳裏に焼き付いているのだろう。

2003年夏、僕は一眼レフカメラの販売員としてこの店に派遣された。まだ右も左も分からぬ、研修終えたての24歳。僕は店に入って色々な人とコミュニケーションを取りながら、早く売り場に馴染もうと必死だった。そこで出会ったのがNさんだったのだ。

彼は確か、僕と同年代だった。結構仲良く話しかけてくれたのも、そうした年代の近さからくる親近感だと思っていた。しかし、ある時から何かがおかしいと感じられるようになったのだ。

最初はただの冗談だと思っていた。自転車競技を昔やっていたと話した時に、「そうなんですか?じゃあ結構下半身も鍛えてますね」と尻を触られたのだ。「お、良いケツしてるじゃないですか」とNさん。「いやいや、そんな事無いです。」と返しておいたのだが、この対応がまずかったのだろうか。ここから全ては始まったのだ。

その数日後、ガラスケースの鍵を持っていた僕のところへNさんがやって来て、鍵貸して下さいと言いながら尻を触ってきたのだ。「何触ってるんですか!」と振払いはしたのだが、「Jonさん、良いケツしてますね〜」とのたまう始末。それ以来、ちょくちょくNさんは僕のところへ来るようになった。

元々Nさんはデジタルカメラコーナーで、僕は一眼レフコーナー。場所が隣同士とは言えあまりデジカメコーナーの人がこっちへ来る事は無かったのに、Nさんは何かと理由を付けてこっちへ来るのである。

大体の場合彼は鍵を借りに来たのだが、その度に尻を何度も触られた。しかもそれは段々とエスカレートして、下手をすると僕が接客中にも拘わらず尻を触る始末。怪訝そうなお客さん、必死でフォローする僕。違うんだ、僕はストレートなんだ!女の子が好きで好きでしょうがないんだ!!

そんなNさんの迷言はこれだ。「Jonさん、ホントに良いケツしてますね。尻こ玉抜きますよ?」・・・カッパ?確か抜かれると死んでしまうのでは??お、お助け。。。

Nさんはいい気なもので、そのうち僕の事をコダマッチとか呼び出す始末。ホントに抜かれてしまうのだろうか・・・。おびえて暮らす毎日に、しかし一筋の光明が。後任者が決まったのである。

もともと僕は単なるつなぎ役として3ヶ月、後任が決まるまで店に入るという予定だったのだが、なかなか良い人材がいなかったようでそれが延びていたのだ。彼女ができた時も、一番に話したにもかかわらず尻を触り続けるNさんに、そろそろ本気で身の危険を感じ始めていたので、この話に僕はとても喜んだ。

僕  「Nさん、僕今度の12月いっぱいで店辞めるんですよ。お世話になりました。」
Nさん「えぇー、そんな・・・。これから一体誰のケツを触れ」
僕  「知りません。」

そんなこんなで自由の身になる僕に、最後の災厄は降り掛かってきた。ある時、僕がカメラのコーナーで立っていると、後ろからNさんが音も無く忍び寄ってきた。そして一言「Jonさん、鍵貸して下さい。」とともに、何と彼はズボンの前ポケットに手を突っ込んできたのである。

僕  「ぎゃー!!!」
Nさん「あ、間違えた」

・・・穢されてしまった。その夜、僕は初めて涙で枕を濡らした。

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2006年2月16日 (木)

癒し系。

昔から、僕で癒されると言う人は結構いるようだ。高校の時の担任、H先生もそうだったらしいし、以前デジカメ販売の仕事をしていた時も、何故か僕を見ると癒されると言う人がいたものだ。

話は変わるが、僕は年上の女性に好かれやすい。付き合ってきた人は年上の人が多かったし、中年以降のおばちゃんにも好かれやすい。以前フランス料理の教室に通っていた時は、僕以外がほとんどおばちゃん達という状況の中、アイドル的存在として皆にかわいがられていた。「私に娘がいればねぇ」と言う人までいたくらいである。

そしてまた話は変わるが、僕は結構韓国顔をしているようだ。イギリス留学中には、韓国からの友達に「韓国のポップスターに似てる」と言われたし、大阪へ遊びに行った時には、道端で客引きをしていた男の人から「アンニョンハセヨー」と素で声をかけられたくらいである。

ここで一つ考えてみよう。癒し系の男の人で、年上女性に大人気、そして韓国の顔。そう、もうお気付きのようにぺ・ヨンジュンに似ているようなのだ。ある時当時の彼女から、ヨン様と浮気しても数に入らなそうとか訳の分からない事を言われた事もあったり、ある人からはズバリ「ヨン」と呼ばれたり。

家族や親友、付き合っていた子までがそんな事を言うくらいだから、それ以外の人にも良く言われる事この上なしという状況で、ここ1週間でも何度言われた事だろう。

トレーニングを一緒に受けている仲間からも「ヨン様」と呼ばれ、土日と短期でチラシ配りのバイトをした時にも似てると言われ、昨日初バイトで働いた飲み屋でもお客さんから似てるよね!と熱く語られ。

似てるのかもしれない、うん、似てるのだろう。でも、何だろう。一つそんな時に悩んでしまうのだ。

・・・どうやって返したらいいのだろう?そこまでハンサムという訳でもないし、僕自身が韓国語を話せる訳じゃない。冬ソナを熱狂的に観ていた訳でもないから、萩原聖人の吹き替えの真似だってできない。その癖車に撥ねられた後、病室で目を覚ました彼が「ユジナ・・・」と言うところの真似はできるのだが、分かる人がいない。。。

いつも「はは・・・」と笑って済ませるのだが、これをもっとコミュニケーションの道具として役立たせる方法は無いのだろうか?「似てるよね!?」「はは・・・」以上。寂し過ぎるじゃないか!

こんな事で頭を悩ませている僕は、もしかしたら結構アホなのかもしれない。

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2006年2月14日 (火)

若さゆえ。

君と一緒にいた時、二人で色々な事をした。
色々なところでご飯を食べ、お茶をして、映画を観て。
どれもが今でも輝く思い出として記憶に残る。

いつだって僕は幸せだった。
君がどうしようもないわがままを言ってる時だって、
一緒にいるわずかな時間に、ずっと眠っていた時だって。

でも時々二人の間にはズレがあったのかもしれない。

君と観た映画は、どれだって今までで一番楽しかった。
君が連れていってくれた店は、いつだって一番気に入った。
君が教えてくれたケーキは、今までの中でも一番美味しかった。

それを僕が言った時の、一瞬君の顔に浮かんだ怪訝な表情。
まるで「これが?」というように、少し驚きを含んだその表情。

きっとそうなんだろう。
それ自体はその程度のものだったのかもしれない。
でも間違いなくその時の僕は最高だと感じていた。
今、こうして年月が経って気付いたんだ。

美味しさは、一緒にいる人で変わる。
楽しさは、一緒にいる人で変わる。
君というスパイスが、料理を最高の味にしてくれた。
君という演出で、映画は何倍にも面白かった。

全ては君がいたからだった。
今も鮮やかにこの胸で生きる君。
豊かな人生を与えてくれた君。
その全てに感謝しよう、この心を込めて。

ありがとう。

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2006年2月11日 (土)

聖者の日の悲劇。

もうすぐ、僕の誕生日がやってくる。27歳になってしまうのだ。ありきたりな感想ではあるが、子供の頃考えていた27歳とは全然違う。あの頃は27歳と言えばもう相当な大人で、子供が2人くらいいてもおかしくない、僕ならば実際もういるだろうと思っていた。

しかしこの姿を見よ!全くの子供のまま、ここまで歳をとってきてしまった。既に2児の親となり、立派な家庭を築いている友人もいるというのに、この僕は。研修中とはいえまだ仕事も始まっていない、ケツの青いガキである。

そんなこんなで彼女もいない、このムサイ27歳はついに2月14日をもって27歳になる。その記念すべき(?)誕生日に、自分でもいつか忘れていたお陰でバイトの初仕事日となってしまったのは、もう悲劇としか言い様が無い。

悲劇といえば、今までの誕生日に良い思い出は多くない。日本という国では、何故かイベントの日はカップルでないと相当肩身が狭い。非モテの僕にとっては、年中肩身が狭い国、それが日本なのである。

小学校・中学校・高校と、その日はどんなに学校へ行くのが憂鬱だった事か。浮かれポンチな奴らは、大抵僕の誕生日など忘れているし、その日に祝ってくれる友達だってあまりいない。そりゃそうだ、彼女と過ごしたいだろう。

そんな中でもトップクラスの悲劇は、高校1年の誕生日だろう。僕はいつも通り学校へ行き、机に教科書などを入れようとしたその時である。四角く固い何かが底にある事に気付いた。まさか、いやもしかして・・・?

思春期の男の子、そりゃそんな物が入っていたらもう気が気じゃない。期待だってしてしまうし、授業どころじゃあないだろう。

まだ見ぬ君「実は、ずっとJon君を見てたんです」
僕    「そっか、実は僕もなんだよ」
まだ見ぬ君「えっ、ホントに?!」
僕    「決まってるじゃないか、おばかさん」
まだ見ぬ君「うふふ」
僕    「あはは」

なんてべたべたな事を想像していた僕。そしてはやる心を抑えて、休み時間まで待った僕。期待に胸を躍らせて包みを開けたその僕の目に、驚くべき光景が飛び込んできたのだ。

「薔薇族」

あまりにも有名なゲイ雑誌。なぜ、なぜこんなものが?!念の為に言っておくと、僕は相当の女好きだ。言い方が悪いが、ゲイだと勘違いされるよりはマシだろう。

とにかく、あまりにも期待していた物と現実のギャップが大きすぎた。ある人の表現を借りれば、間違いなく全米が震撼した。呆然としている間に、僕が持っている物に気付かれなかったのは不幸中の幸いだろう。クラスにいた、ハードゲイに狙われていたに決まってる。。。

チョコかと思い天国にいた僕を、容赦なく地獄へと突き落とした薔薇族。これ以上の悲劇は無いだろう。むしろこれを越える悲劇などあって欲しくない。どうか良い思い出がありますように。

しかし今年の誕生日は、バレンタインデーという事で浮かれ来るカップル達を尻目に働く、全く持ってシングルのしかも誕生日の僕が働く。この失意の僕を癒すのは、甘いお菓子なんかが良さそうだ。僕は大の甘党なのである。もう一度、大の甘党なのである。

ちなみに僕が好きな色は、黒系の色。やっぱりシックじゃないとね!慰め・癒し、大募集中というご案内でした*

あ、ちなみにバイト後は空いてます。空いてます。空いて・・・。

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2006年2月 9日 (木)

生きるという事。

匂いは人の脳を刺激する。今日電車に乗っていた時の話だ。

渋谷駅で山手線に乗り込み、発射を待っていたところへ走り込んできた一人の女性。混み合った車内後から乗り込んできた彼女は僕のすぐ前に立った。白いコート姿に化粧もナチュラル、上品な雰囲気の別嬪さんだった。

そんな彼女を見た瞬間に浮かんできたイメージ、ウナギ。正確に言えば、ウナギの蒲焼き。

・・・?別嬪さんと蒲焼き??ちょっと自分自身で混乱してしまったが、すぐにその謎は解けた。その女性からは、山椒の匂いが漂ってくるのだ。昔ウナギを家族で食べた時に、山椒が一緒に出てきて強く印象に残っていたらしい。

上品なカッコと山椒がちょっとちぐはぐな感じではあったが、きっと今日、彼女はデートだったのだろう。

久しぶりに会う彼、付き合い始めてまだ半年ではあるが、彼女は既に彼との将来を考えるようになっていた。彼には恐くてまだ言っていなかったが、彼女の中では既に出来上がっていた青写真。お互い仕事でなかなか会えないけど、会えるその一時が何より貴重だった。

今日は彼が、良いところに連れていってくれると言うので、久しぶりに精いっぱいのお洒落をして出てきたのだ。久しぶりにあった彼は相変わらず優しく、柔らかい笑顔には屈託が無い。包まれて安心できるような雰囲気と、包んであげたくなるようなかわいさを合わせ持った珍しい人。今日行くお店は、そんな彼の行きつけだと言う。

イタリアンかな、フレンチかな、それとも意表をついてアフリカン?店に着くまで種明かしをしない彼に、質問をぶつけながらちょっと拗ねてみたりする。優しい彼は、そんな彼女にちょっと慌てながら機嫌を直させようとしている。そんな様子がおかしくて、私はつい笑ってしまう。そこで彼もわざと拗ねたのだと気付き、二人で子犬のようにじゃれあうのだ。

そんな楽しい道程の先に着いたお店は、下町にあるウナギ屋さんだった。ウナギ、彼女がとても苦手なウナギ。あのぬめぬめ、皮の弾力、グロテスクな姿。あぁ、とっても耐えられない。でもここは彼の行きつけのお店。どうすれば良いの?

彼女が内心動揺していく事には気付かず、彼は笑顔で店に入っていく。一秒で彼女は決心を固め、店の中へと足を踏み入れた。しかし店の中の光景は、彼女にとって地獄絵図そのものだった。至る所に大きな水槽が置かれ、ぬらぬらと光りながら泳ぎ回るウナギの群れ。あぁ、もう耐えられない。暗くなる視界が最後にとらえたのは、落ちて砕け散る山椒の瓶だった。

目を開けると、心配そうな顔で彼が覗き込んでいた。気付くとそこは彼の部屋で、ウナギはもうどこにもいない。彼女は長く息をついた。体調良くなかったんだね、疲れてた?ごめんね、それに気付かず引っ張り回して。謝る彼に彼女は真実を隠しておけず、ごめんなさいと謝りながら打ち明けた。

ちょっとびっくりした顔の彼。そして一瞬、気付かない程の一瞬だけ残念そうな顔をした後彼はホッとした表情になった。体調悪い訳じゃなかったんだね、良かったぁ。ウナギはもう食べられないけど、今日はそれ以上に良いものを見つけたから良いんだ。

え?と聞き返す彼女に、彼は続けた。君が倒れた時、とても心配で心配でしょうがなかったんだ。もしかしたら何か重大な病気とかあって、君と一緒にいられる時間はとても短いかもしれない。そうなる事がすごく恐かった。そしてその時どれだけ僕が君を愛しているか、気付いたんだ。だから、今日は僕にとっての記念日でもあるんだよ。

にっこりと微笑んだ彼、そして優しい口付け。きっといつになってもこの瞬間だけは覚えているだろう、彼と結婚を決意した瞬間。山椒の匂いに包まれながら、人を愛する喜びを噛み締めていた。

なんて長々と想像していた。あぁ、やっぱり人を愛するっていいことなn

ぐー。山椒の匂いに刺激されて、大きな音でなるお腹。電車の中でも確実に周りへ聞こえたに違いない。くそぅ、えらい恥かいた。。。山椒の匂いなんかさせて電車に乗るなー!

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2006年2月 8日 (水)

嫌いなもの。

スパムメールが大嫌いだ。夜中でも構わず送られてきて、時にはそれで起きてしまう事だってある。こんな事をやって効果あるのかと思うのだが、実際にそれでクリックして覗いてみる人がいるからこそ奴らも懲りずに送信しているのだろう。

つい先月まで僕はアメリカにいた訳だが、その時に僕はボーダーフォンの携帯を持って行った。留学は結構突然に決まった為連絡がもれた友達だっているだろう、そんな時に連絡が取れなければつながりが切れてしまうかもしれない。せっかくできた関係は大切にしたいとの思いで持って行く事にしたのだが、スパムの奴はアメリカまで追っかけてきたのだ。

向こうでは完全に受信せず、着信があった知らせのみを受け取るようにしていたのだが、時差があるだけに以前より非常識な時間に鳴る事が多い。挙げ句の果てにはスパムだけでサーバーがいっぱいになり、一般のメールを受信できない状況にまで追い込まれてしまった。

そんなこんなで僕はスパムが大嫌いなのだが、メールの文面があまりにも頭悪すぎて、思わず笑ってしまったものがある。昔から僕は「嫌いなものはとことん嫌い、その存在すら認めたくない」という性格である。ウル○ルズ、シャ乱Q後のつんく○に関わる全ての娘ども、ユニク○などが嫌いリストに入っているのだが、カラオケで誰かが歌おうとすれば消すかトイレへ立ち、ユニク○へは足を一歩も踏み入れない。

そんな僕が、嫌いなはずのスパムに笑わされた。あまりに頭が悪過ぎた文に、こんな文を書いて送信する人がいるという事実に。内容はこんな感じだったのだ。

「姫好き?僕は大好き!だって姫だもん♪しかも近所の姫が絶対いるんだよ!くぴー!」

どこから突っ込めば良いというのか。。。くぴー!て。クリックした人、いるんだろうか?

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2006年2月 6日 (月)

さらば友よ、また逢う日まで。

ちょっと前回の旅行記では感情的になっていたかもしれない。僕には見つけられなかった良いところもいっぱいあるのだろう、これだけ観光客も来ているのだから。まだまだ青いなと反省しつつ、次へ進もう。

******

ベリーズ出国後は無事にメキシコにも入国でき、僕らはまたバスへ乗り込んだ。3日間のツアーが終わり、今度はメキシコ国内をカンクンまで移動する事となる。フローレスでエージェントに聞いた時には、その到着した街からカンクンまではその日のうちに問題なく行けるという事だったので、まずはバスを探さねば。

バスは無事目的地であるチェトゥマルへと到着し、まず最初の僕らがした事。そう、ATMで現金を手に入れる事である。Gaboには本当にお世話になってしまった。もし彼が日本に来るというのであれば、国を挙げての歓迎・・・とまではいかなくてもJon一家を挙げての歓迎をしてあげよう。

バスターミナルで、きっとGaboが最後にできるヘルプと言って、バスの窓口でチケットについて聞いてくれた。しかし、またしてもソールドアウト。。。しかもこのまま行ったとしても、着くのは夜11時頃。こりゃ参ったな、どうしよう?

そしてこの時気が付いたのだが、Keaneの顔が真っ青でどうも具合が悪そうだ。ひどい乗り物酔いになってしまったようで、まずはちょっと休んだ方が良いかもしれない。ここで一晩過ごそうか、Gaboもそう勧めてくれている。しかし僕らには時間が無い。どうしたものか・・・。

結局僕らが取ったのは、その折衷案として夜中のバスでカンクンに向かう、というプラン。これなら翌日の朝にはカンクンに着き遺跡にも行ける。しかも少し時間に余裕があるお陰でゆっくりする事もできる。まさにベスト、だったのだ。

まずはGaboがチェックインしたホテルに荷物を置かせてもらい、僕らは美術館へと出かけた。僕らは全くここの事を知らなかったのだが、事前に色々チェックしたGaboによると、ここがメキシコでも一番マヤの展示に関しては充実しているとの事。文明好きの僕がとても喜んだのは言うまでもない。

たっぷりと時間をかけて美術館を巡り、ついにチャックモール像ともご対面できた僕は大満足だった。街をぶらぶらして海岸の方へ向かうと、広場のようなところがあり綺麗に飾り付けされていた。クリスマスの名残らしい。あぁ、観光だ!

食事をした後はGaboの友達がたまたまこの街に来ていたという事で合流し、バスターミナルまで送ってもらった。その時に奇妙なシャーベットを食べさせてもらったのだが、言葉で形容するのがとても難しい。甘いのにスパイシー、冷たいのにホットと色々矛盾だらけのこのアイス(?)、メキシコでは以外とポピュラーらしい。まず日本では食えないだろうし、良い経験ができた・・・に違いない。

そしていよいよバスの時間、Gaboとの別れの時が来た。思えばグアテマラで彼と出会ってから、どれだけ彼の世話になった事だろう。そしてどれだけ楽しい時間を過ごした事だろう。僕の英語もある程度直してもらったり、中米について色々と教えてもらったり、単に旅で出会った友人以上の何かを感じていた。明日から彼がいないとは、実感が全然湧かない。まるで最初から一緒に旅をしてきていたようだ。

くっ、センチメンタルになったらダメだ。また会えるのだから。次に旅行する時は、まず一番最初にコスタリカを選ぼう。それまでしばしのお別れである。ハグをした後、チェトゥマル最後の視界は少しだけぼやけていた。

続く

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2006年2月 4日 (土)

ベリーズ入国注意事項。

旅行記の内容だけではちょっと分かりづらいところもあるかもしれないので、情報をここでもう一度簡単にまとめて書いておこう。

・日本人が入国する時は、誰であってもアメリカのビザを持っていても、写真と50米ドルがビザを手に入れる為に必要。1日以内のトランジットであっても同様。

・手続きは朝8時からしかやらないようなので、イミグレでそれ以上に早く着くと待たされる事になる。

・ビザは別室で個別に話をして、写真と50米ドルと引き換えにスタンプを捺してもらえるが、その後部屋から出たら、もう一度列に並ぶかそのまま直接入国審査官に声をかけて入国スタンプを捺してもらう。怪訝な顔をする事もあるらしいが、入国のスタンプがまだ、とパスポートを見せて伝え、スタンプと入国カードの半券(?)をもらうのを忘れない事。

・出国の時には、単なるトランジットだけの人は15米ドル、ステイする人は更にそこからプラスで必要となるので、必ず現金でその分は用意しておく事。もし現金が無ければ、そこからかなり離れたATMまで行く羽目になる。

日本人が陸路でベリーズに入ろうとすると、最低でも65ドルはかかるのでルートや目的を考えてみるといいかもしれない。この国に行きたい!という思いが無いのであれば、グアテマラからパレンケにもう一度戻るのも手だと思う。

毛嫌いしているからとかでなく、情報が無い為に嫌な目に遭う日本人が少なくなってくれればと思いこの文章を書いているのだ。僕の感情は抜きにしても、情報は情報として役に立てば幸いである。

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2006年2月 3日 (金)

光と影の、その向こう。

失って初めて気付くもの。かけがえの無い日常、大切だったあの子、そして旅行における安全。僕の旅行が安全だなんて、誰が決めた訳でもなく誰に決められる訳でもないのに、僕は太陽が昇るよりそれを信じていた。JAYWALKのように。

その日の朝は、とても調子が良かった。いや、良く見えた。朝迎えのバスに乗り込み、ベリーズを経由してメキシコへ戻るこの日、僕はGaboと一緒に座り楽しくおしゃべりしていた。朝早かったせいで、暗いバスの中パンを食べるようとして失敗、メンタルプロブレムと何度もからかわれた事が、もしかしたらこの時僕が既におかしかった事を示していたのかもしれない。

バスは順調に走り、まず最初の関門であるベリーズとの国境にたどり着いた。コスタリカ人であり、中南米を旅慣れているGaboの存在は本当に心強い。色々とアドバイスをもらい、グアテマラ側の国境は難なく通り過ぎた。その後ベリーズ側国境へ行くと、まず脇で待てと言うのだ。

立たされっぱなしの僕らを尻目に、人々はどんどん国境を通過していく。しばらく経つとようやく別室へと呼ばれ、ビザの面接をする事となった。一人ずつ入り話をすると言うので、まず僕から入った。下はその時の再現である。

奴「50ドルは?」
僕「え、ガイドから25ドルと聞いているのだけど?」
奴「足りないな、どうする残り25は?」
僕「25ではどうしてダメ?」
奴「ビザ欲しいんだろ?」
僕「・・・。」

しぶしぶ50ドル払い、ビザのスタンプを捺してもらう。その間も奴は、テレビでやっていたバスケットボールの試合に興奮したりがっかりしたり。立場の違いを思い知らされたようで、とても悔しかった。

しばらくして手続きも終わり、奴は一言「去ね。」と。どんな時でも上品な僕は「ありがとう、ごきげんよう。」と笑顔も交えて答えたのは我ながら立派だったと思う。

部屋を出た僕はそのまま税関を通過して、バスが待っているところへと向かった。後々この行動が悔やまれる事となった。しかし僕は何も知らず、全てが問題無いように見えていた。

全員が無事国境を通り抜け、僕らはベリーズを駆け抜けた。途中一度ベリーズで降りる人の為に一度止まったが、4時間程でメキシコとの国境へ到着した。と、ここでもなにやら金を払わなくてはいけないらしい。ただ出るだけなのに?15ドルも取るたぁふてぇ野郎だ。

・・・まずい、現金が無い。この手にあるのは、クレジットカードのみ。余計な現地通貨を手にしないようギリギリで来たのがまずかったか。どうしよう。。。

持つべきものは友、昔の人は言いました。僕らに救いの手が。そう、Gaboが!彼は僕らの分を立て替えて一緒に払ってくれたのだ。感謝感激とっても嬉しい!さぁ、あとは出国のスタンプもらってGO!!

しかし世の中そうは甘くなかった。出国管理官が、何やら僕のパスポートをぺらぺらめくってなかなか終わらない。まだ?と思ったら、ちょっと横で待つようにと言われてしまった。また?

今度はStitchもKeaneも通り抜けていく。不安がピークに達した頃僕は女性の管理官に別室へと連れていかれた。今度は完全にマンツーマンである。話を聞くと、どうやら僕はビザのスタンプのみもらって入国スタンプをもらってなかったらしい。そんな、奴が行けと言ったから立ち去ったのに!

どうやら国境では、ビザのスタンプをもらったらもう一度列に戻って入国審査を受け、入国スタンプをもらわなければいけないらしい。呆然とする僕に彼女は続けた。このままだと出国スタンプを押す事ができず、メキシコに入国できない。最初の国境に戻る?と。往復8時間。あーりーえーなーいー!

更に彼女は畳み掛けてきた。これは強制ではないからねと前置きした上で、もし50米ドル払えば助けられるかもしれない、と。うん?袖の下??お代官様、まけてくれてもいいんじゃ・・・。え?ディスカウントは無理??でなければ戻れって???足元見やがって!!!!

またしても金がなかった僕は、Gaboに借りて何とか支払った。彼女はそれをそのままポケットにしまい、その代わりにとしてくれた事はビザスタンプの上に2行程の走り書き。・・・そのくらいタダでやってよ。何だか悲しくなってきた。

たった4時間の滞在、ただ通り過ぎるだけで115ドル。なんてがめつい国なんだろう。どんなに素晴らしいビーチがあろうが、のんびりリゾートに最適と勧められようが、この先二度とベリーズに足を踏み入れる事は無いだろう。こんな根性曲がった国、大嫌いだ。

15ドルをGaboに立て替えてもらった時、レシートを渡されそこにはこう書いてあった。「また、すぐ会いましょう。」
ビリビリに破り捨て、この銭ゲバのような国を後にした。

続く

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2006年2月 2日 (木)

陽は沈み、偽りの月が昇る。

朝から歩き多くのアップダウンもこなした僕らは、たっぷり汗をかいた事もありまずシャワーを浴びたかったのだが、疲れた体はそのままだと今にも眠ってしまいそう。そこでまず用事を先に済ませる事に。

その用事とは何か?昨日ガイドに言われた、ベリーズ入国の用意である。まず僕ら日本人はビザが必要となるらしい。そしてそれには25米ドル相当の現金と写真が必要という事だった。まず街に出よう。

僕らが滞在していたフローレスは、(Gaboに教えてもらうまで気付かなかったが)実は湖の中の小さな島になっていて、街へ行くには橋を渡らなければいけない。現金も必要だったので、散歩がてら歩いて行く事にした。

まずホテルの近くでPhoto 24 hoursと書かれた店を見つけた。しかし写真屋はまだあるだろうしATMでお金を先におろしたい、という事でこれをパスして先へと進む。橋を渡っていると、湖に挟まれたその景色はとても綺麗だった。穏やかで静かな湖の島。フローレスというその美しい響きがとても似合っていたと思う。

街に出た僕らはまずATMへ。やる事がいくつかあったので手分けして一旦解散。グアテマラではそこまで使わないだろうからと、まず僕だけが現金を手に入れ3人でシェアする。精算は後日。その間にStitchは電話をかけKeaneはベリーズの入国情報をネットで確認。というのも、どうもベリーズ入国に写真は必要無いのでは、という意見が出てきたからなのだ。余計なお金は使わない方が良い。

現金を手に入れた僕がネットカフェへ行くと、情報がとても混乱していて良く分からないとの事。あるところでは写真が必要とあったり、あるところでは25米ドルではなく50米ドルだと書いてあったり。不安になった僕らは、とりあえず念の為に写真を撮る事にした。

色々と回ってみたのだが、どうも高い。一人4枚で40ケツァルはするようだ。まぁいい、とりあえずフローレスへ戻って近くで撮る事にしようと街を後にした。実は行ってみたい通りがフローレスにはあったのだ。

土産物屋が立ち並ぶその通りは、程よく民族衣装なども売っていて魅力的だった。どうせ写真は24時間だし、と夢中になって眺めていると、Keaneがぼそりと一言。24時間でフィルムからプリントできるという事では?・・・ダーッシュ!

店で聞いてみると、案の定写真の撮影はやっておらず現像とプリントのみだという。まずい、急がねば!もうすぐ日が暮れてまう!!街まで戻るのに、もう悠長に歩いてなどいられない。僕らはタクシーを捕まえて街へと急行した。

写真屋に着いた僕らは、100ケツァルで撮ってもらえるよう交渉して撮影に臨んだのだが、背景をどうすればいいかとの質問が。ビザ用だとどうなるんだろう。そしてサイズは?細かい事を一切聞いてなかった事に気付いた僕らは、質問の内容を紙に書いてもらい慌てて旅行代理店へ。この時点で6時23分、写真屋は7時で閉まってしまう。急ぐのだ!

・・・代理店閉まってるし。シャッターと鉄格子で完全武装してお出迎え。ひー。。。

とりあえず隣にあった系列のホテルで情報を聞いてみる。すると僕らのようにアメリカビザを持っていれば写真は必要が無いのでは、ただお金はやはり50米ドルかかるという話。ますます混乱して大パニック!まずは写真屋に戻ろう。

何を信じていいのか分からなかった僕らは、もう備えあれば憂いなしと写真をまずプリントしてもらう。お金に関しては、とりあえず明日50ドルと言われたら最悪の場合ガイドに間違った情報を教えられたからと立て替えさせるつもりで行こうと、このまま行く事にした。ケツァルが余ってもしょうがない。

フローレスへの帰りは、また歩いて橋を渡る事に。既に陽は沈んでいたが、まだ遠くの空は一部が赤く、そこから青、黒へのグラデーションがとても美しかった。その景色にようやくパニックもおさまり、レストランでこの度初のシーフードも食べ満足して眠りに就いた。明日、この旅行で最大のトラブルに遭遇するとも知らず、平和で満ち足りた眠りだった。

続く

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