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2006年1月31日 (火)

古き神々、そして人々の棲んだ廃墟。

ちょっと間が空いてしまったので、念の為に今までの簡単な説明をば。
クリスマスホリデーでメキシコ・グアテマラへ行く事にした僕ら一行は、迎えのバンが来なかったり目的地までのバスが取れなかったりと、ハプニングはあったものの何とかグアテマラに入国した。そして旅行4日目、僕らは前半部分のクライマックスであるティカル遺跡を訪れようとしていた。

******

この日僕らに大きな出会いがあった。コスタリカから来た英語の先生、Gaboである。

彼とはティカル遺跡へ行くツアーのバスで出会った。待っている時からちょっと話し始めたのだが、この人ただの英語教師ではない。どうやらコスタリカで英語学校の校長を務め、大学でも教えたりしているようなのだ。こういう人の英語は聞き取りやすくて素晴らしい。

Gaboにはユーモアのセンスもあったので、色々話しながらいつの間にか一緒に遺跡を巡る事となった。コスタリカ人だけあって、スペイン語はネイティブである。そんな人と知り合いになるという事がどれだけ大きな事か、僕らは旅をしながら実感する事となった。

昨日の時点で日の出が見られるという事だったので、僕はとっても期待していた。バスに乗り込んでからも、そんな明るい気分が僕をちょっとハイにしていたようで、僕は珍しくよく話していたのだ。しかしまさか、そんな気分を反映して空までが明るくなろうとは。。。遺跡の上から日の出を見る、僕の夢が打ち砕かれた瞬間だった。くそぅ、あのガイドめ!

バスが遺跡へ着く頃にようやく僕も機嫌を直し、チケットを買って奥へと進む。まずは暴れる胃袋をなだめる為に朝食をレストランで食べる事にした僕ら一行。Gaboの国がどこにあるか、中南米はどんな様子なのか、彼の仕事や旅行の事など色々な話をしつつ食事に関する簡単なスペイン語なども教えてもらう。僕の名字がバイク泥棒、という言葉と似ているらしいと教えてもらったのもこの時だった。普通以上に真人間なのに・・・。名前だけで判断されませんように。

その後ゲートへと向かいながら色々話をして、和やかな雰囲気の中僕らは楽しいひとときを過ごしていた。僕が買ったばかりのチケットを失くすまでは。係の人にチケットを見せようとしたのだが、カバンにもポケットにもどこにもチケットが無いのだ!やばい、非常事態だ!!

慌てて色々とひっくり返しおっくり返し探してみたものの、どこにも見当たる事なく僕のパニック度合いはピークへ。そこで頼りになったのは、やはり我らがGaboだった。係の人に話をつけて、無事に通してくれたのだ。もう、頼りになるよGabo様!僕はあなたについていきます。

ちょっとしたアクシデントはあったものの、無事に遺跡に侵入したJon一行。Group Fと矢印の示す方向へと歩いていき、ジャングルを抜けたその先に広がった光景に僕は息を飲んだ。高い、そして古い。なんなんだ、これは。写真では見た事があった。どんなものか想像もしていた。でもそんなもんじゃなかった。実際に目にした時のこの感動を、どう言葉にしたらいいだろう。

えも言われぬ迫力があり、圧倒的な存在感が僕を打ちのめした。古の文化、そこで暮らした人々のざわめきを聞いた。そこに流れてきた、大河のように静かで止まらぬ時の流れが、一気に氾流となって僕を飲み込んでしまった。しばらくそうしてマヤに浸った後、我に返った僕はそのTempleのあちこちを見て歩いた。登れるところは登り、そこからの眺めを楽しんだ。何故このような配置で建物を造ったのか、何故こんなに階段を急なものにしたのか。疑問は次々と湧いてきたが、遺跡はただ静かにそこに横たわり僕の問いを聞くだけだった。

そうして僕らは次々と建物を見てまわったのだが、どの建物も素晴らしく古く、そして美しかった。この建物群が埋もれていた頃、僕がこの場にいる事ができたならば。この遺跡の発掘作業に、自分も加わる事ができていたなら。感動の中にこんな嫉妬も含まれていたと思う。しかしそんな嫉妬は次の景色でかき消された。

そのTempleは裏面が埋もれていた時そのままで、まるで丘があるように見えた。僕は幾分急なその丘を登り、頂上で周りを見渡してみた。そこは狭く、人もあまり大勢乗る事ができないところだったのだが、その分誰も周りにおらず景色を眺める事ができた。

360度、見渡す限りジャングル。地平線は全てジャングルと溶け合い、辺りはただ緑、緑、緑・・・。晴れ渡った空の青とのコントラストは目に痛いくらいで、今僕を生かしてくれているものが何か主張していた。この遺跡での、僕にとってのクライマックスである。正直に言うと、このTempleの方が一番有名な4th Templeよりも良かったと思う。人も少なく、高さも同じくらい。そして登るのも遺跡自体の階段か裏側の土でできた坂道であり組み立てた足場ではない。そのままの姿を楽しむ事ができた。

こうして遺跡を全て見て歩き博物館も楽しんだ僕らは、何度も階段を上り下りしたお陰で大爆笑している膝を抱えてバスに乗り込んだ。汗臭く疲れてはいたが、とても満ち足りた気分でティカル遺跡を後にしたのである。旅行の雲行きが怪しくなり始めたのはここからである。

続く

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2006年1月30日 (月)

そして日本。

ついに、僕は日本の土を踏んでしまった。あぁ、日本の土だ、帰ってきたくなかったのに!どこへ行ってもそう言ってるじゃんという声が聞こえてきそうだが、特に今回はその気持ちが強かった。

もっとこんな事もしたかったし、これだって試してない、ここにも行きたかったのにこれしか・・・などなど欲望は尽きない。人間ってなんて贅沢な生き物なんざましょ!

それでも帰国して今日で3日、早くも馴染み始めている自分がいたりして、もうちょっと感傷に浸ろうぜと自分で思ったりもしているのだけれど。自分の適応能力の高さが恨めしい。。。

この3日間で、色々友人に会ったり引っ越しをしたりと忙しい日々を送っていたせいで更新が滞ってしまったのだが、まだ今もちょっと眠気が激しく押し寄せてきているので書き終えるとしよう。でないとまた妄想ワールド一直線になってしまう。

片づけの済んでいないこの部屋の、そこここに散らばる物と物の間から顔を出す小人達。一人が頭の上に乗っかって、優しい歌を歌いながら耳の中に入ってくる。そこは洞窟になっていたので、ここからどうやらパニッチ(小人の名前)の冒険が始まるらしい・・・。

えーと、ごめんなさい&おやすみなさい!

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2006年1月26日 (木)

ただ今帰国準備につき。

更新の頻度が下がってしまっている。これはいかん。多くはないが楽しみに見てくれている人に対して、最大限応えるのが礼儀というものなのに。ここは一つ、短いモノではあるが何か書くとしよう。旅行記をお待ちの皆様、今しばらくお待ち下さいませ・・・。

ついに明日の帰国を控え、さっきまでパッキングをしていたのだが、僕は何と荷物を多く持っているのだろうとびっくりしてしまった。もともとこっちへ来る時もスーツケースはいっぱいではあったのだが、そこに色々とこっちで買った物までプラスされたからたまらない。スーツケースを閉めようとしても閉まらないのだ。どんなに押しても、そしてどんなに上に乗っかっても。

もしかしたらそのスーツケースは、とっても頑固な貝なのでは、という疑いを持つまでそんなに時間はかからなかった。深く濃い灰色の外殻、活きたアサリのように口を半開きにしている様子、どれをとっても貝そのものなのだ。

この貝に勝たない限り、僕の明日はない。まず僕は貝をなだめる事から試してみた。

僕「ほらほら、いつまでもそんなに拗ねてないで。」
貝「いや、そう言われても中はいっぱいだし。」
僕「でもほら、この隙間とこの隙間をくっつければ?」
貝「いや、でもそこは大切なものコーナーだし。」

このノリが悪い貝め。仕方ない、それならば強制的に中身を掻き出してやるわい。まずはこのTシャツから・・・

貝「ひー、止めておくんなまし!」
僕「良いではないか、減るもんでもなし。」
貝「あーれー。」
僕「ふん、他愛もない。」

Tシャツの位置を変えてみたものの、まだ上手くいかない。さっきよりも上手くいってはいるのだが、まだ足りないようだ。

貝「そんな、それまで取られたら病気のおとっつぁんが!」
僕「ええい、知らぬと言ったら知らぬ。」
貝「あーれー。」
儂「大人しくしていれば良かったものを・・・。」

という事で、ジーパンを取り出した。元よりこのジーパン、自転車に乗る時の摩擦のお陰で股ぐらに穴があいてしまっていたのだ。どうしてだろう、イギリスに行った時も同じ事があった。自転車って、こんなにハードに摩擦してるのか!どうやら僕には、海外で生活をする旅にジーパンの股ぐらに穴をこしらえる癖があるらしい。あ、僕はストレイトです、念の為。

と、ここでそのジーパンが無くなった事でスペースに少し余裕が出た。再び乗っかる僕に、ついにその時が来た。

「かちゃ」 ・・・閉まったーーーー!!!

ふふふ、見たかこの貝め。人間様をあがめるがいい!


なんておかしな事を考えているのは、僕が今睡魔に襲われているからに違いない。寝ちゃいけない、寝ちゃいけない!寝ちゃ・・・ぐー。

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2006年1月24日 (火)

愛という名の絶望。

僕は恋をしている。
叶う事の無い、絶望的な恋。

夢を見た。期待をした。周りにあおられて、その気になったりもした。でもダメなのだ。彼女は僕の事を振り向いてなんかくれない。

小さな頃からずっと好きだった彼女。今でももだえ苦しむほどに、日々の生活に彼女がいないなど考えられないくらいに切ない片思い。この想いを忘れてしまう事ができれば,どんなに楽な事だろう。

でもそれは所詮無理な話。彼女を僕から切り離すには、あまりに長い事彼女を想い続けてしまったから。

世の中には彼女に愛された、幸運な人たちがいる。その人たちを見る度、その話を耳にする度僕の心は嫉妬に灼かれる。どうしてあなたが、僕でなくて。何度そう思った事だろう。

あなたがもう少しだけ,僕に微笑んでその力で満たしてくれたなら。そんな日は来る事が無いと知りながらもあがく僕は、とても滑稽に映っているだろうか。

きっと僕は、この先もあなたを愛する事をやめはしないだろう。絶望的な、片想いと知りながら。

ミュウズの神よ、僕は一生あなたに恋をし続ける。

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2006年1月23日 (月)

昨日にさらば。

ある日突然キャラが変わったらどうなるだろう。唐突だが、僕は今のキャラを変える。このブログを作り始めた時に、何となくこの文体で書き始めたから今の調子で書いているのだが、僕はもっと根が真面目で繊細な文章を書く人間だったはずだ。例えばこんな感じ。

私がその場に到着した時には、もう全てが終わった後でした。残っていたのは夢を搾り取った残りかす、欲望の成れの果て。捻れ曲がったその手はもう誰の頭を撫でる事もなく、恋人の手を握る事もありません。そこに未だ流れ続ける湖のようになった血溜まりは、もう彼の体を駆け巡る事はなく誰の事をあたためる事もありません。

こんな理不尽に奪われた命に対して、私は何の反応を見せる事すらできませんでした。私の彼が、愛しき人の魂がそこから抜け出てしまった時に、一緒に私の魂までもが昇っていってしまったかのように、ただ立ち尽くすのみ。その体に縋る事もなく、焦点の定まらぬ瞳で彼の方を向いていただけ。ただそうして時間だけが流れていきました。

・・・こんな小説風にしてみても、文章力が無いから所詮無理な話。きれいな小説を書いてみたいとは思うんだけど。どうしても推理小説になりそうで、しかもトリックを考える事が難しくて挫折しそうで。それなら他には何だろう?そうだ、もっと僕はロックでかっこいい感じで書きたかったはずなのだ。例えばこんな感じ。

おぉ、お前らよく来たな!俺がここの管理人、Jonだ。ここでは俺が生きる目的を、そしてこの魂の叫びを聞かせる為に書いている。心して聞いてくれよなベイビー?お前が愛を欲していると言うのなら、このブログという聖なる泉から湧き出るこの無限の愛で、ひび割れささくれたお前の心を俺が癒そう。死ぬまで俺だけはお前のそばにいる。お前にはもう選ぶ事なんてできやしない、俺の愛無しでは生きてすらいけないだろ?

・・・誰だこれ。ロックは好きだし自分程ハイに歌える人はあまりいないと自負はしていても、自分の中にこの自信とか強い部分が無いと書けないもんだ。それならば、いっその事自信とかはなくても詩人ぽく書いてみたらどうだろう?例えばこんな感じ。

君があの時こうして見ていただろう海を
幾年かの時を経て自分も見ている
君があの時こうして考えていた事を
幾年かの時を経て自分も考えている

違いといえば二人の気持ち
距離はあっても繋がっていた僕達
違いをみれば二人のその道
距離がとっても広がっていたその時

うーん、難しい。やっぱり人には合ってるフィールドがあるって事か。前言撤回、このままでいこう。この部分は変わらないか・・・。今日の僕,こんにちは。

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今日こそまさに、One Wild Night。

出会いは別れの始まり、Every new beginning is some beginning's end。別れとはとても切ないものである。アメリカへ来てからもう3ヶ月、月日が経つのは早過ぎる。出会ったたくさんの良い友人、とってもお世話になった人、慕ってくれた子供達。うぅ、考えただけで涙が。。。みんな、ここまでありがとう。

そんな別れを惜しむ場として、今日はフェアウェルパーティーを開いてもらったのだ。会場はいつもお世話になっているNさんのお宅。とって?素敵なお宅で、訪ねる度にうらやましいなと思ってしまう。

パーティーには総勢14人が集まり、前日に頑張って作った豚のトマト煮込みを鍋ごとメッセンジャーバッグに入れて持って行った。一番乗りした僕は、まず Keaneから頼まれた(というより命令された)寒天ゼリーを作り始めたのだが、その間に人はどんどん集まり、キッチンから出た時には既に皆が飲み始めているではないか!そして僕にゼリーを作らせたKeaneも、何と既に始めているではないか!!・・・グレてやる。

その後僕もようやく輪に加わり、目の前に広がる料理にちょっと感動していた。美味しそうに焼き上がったお好み焼き、これまた美味しそうに焼き上がった手作りのピザ、豚肉の白ワイン煮込み、日本式カレー、どれもこれも素晴らしい!

どれにしようかな、と心踊らせている僕だったが、気付くとジーパンを引っ張る手が。子供達である。どうやらちょっとばかり退屈していたようだ。元来無類の子供好きなのだ、まずは遊ぼうじゃないか!

早速僕によじ登ってくる子供達。僕の愛読書に兎の眼という灰谷健次郎の本があるが、その中でとっても子供達に人気のある先生がいる。あるシーンで子供の一人がその先生によじ登る、という描写があり、どんな様子なのだろうとずっと不思議で羨ましかったのだが、ついに僕も手に入れた!お父さん、子供が僕をよじ登ったよ!!

当然子供達はよじ登るだけでは満足せず、その後は肩車したり担いで歩き回ったり、逆さ吊りしてみたり。しまいにはジャイアントスイングやボディスラムのようにちぎっては投げちぎっては投げの大活躍(?)で、まるで動くジャングルジムのようにいいオモチャとなっていたのだけど、最後には大きなイベントが待っていたのだ。

子供達が持ち出してきたのはメイク道具。・・・メイク?僕は男だよ??そんな、あぁ、ご無体な。え、髪も縛るの?リップスティックまで塗るなんて!ひ、やめてぇぇぇぇぇぇぇ。。。

そして僕は酔っ払いのように顔を真っ赤にして、そしてラメをちょっとまぶしてキラキラした女の子になった。あぁママン、ついに僕は異国の地で、人生初のメイクまでしてしまったよ・・・。でも大丈夫、メイク自体を楽しんだりはしてないから。あくまでも楽しんだのはこの時間であって、楽しむ子供達を見て楽しんでいただけだから!リップスティック塗る時に、自分から唇突き出したりしてないから!!僕はストレートだから!!!

その後ちょっとお腹が減ったので休憩して食べたり飲んだりしていると、今度は酔っ払い始めたお姉様がたが色々と質問をとばしてきた。ちょっと内容は書けない事が多かったのだが、とりあえず分かったのは日本の方が飲むには良い環境だという事、そして結婚はしない方がいいのかな?という事。。。でもとっても楽しいお話ができたので、お姉様がたに感謝感謝*

その後またひとしきり子供達と遊び、寝かし付けた後しばらくして帰宅となったのだが、時計を見てビックリ!既に12時を過ぎているではないか!!楽しい時はあっという間に時間が過ぎるとは言え早過ぎる。。。本当に楽しい、Wildな一夜を過ごせた今日は星5つ!

ホスト役を引き受けてくれたNさん、本当にありがとう。日本、まだ帰りたくないなぁ・・・。

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2006年1月21日 (土)

Go West。

ボートに揺られる事30分程で、僕らはついにグアテマラ国境の街に着いた。ガイドに連れられるままに入国オフィス(?むしろ掘建て小屋と言った方がいいような・・・)へ向かったのだが、そこは適当な中米の国。オフィサーがいないからしばし待て,という事になった。

たっぷり一時間程待っただろうか、ようやく戻ってきたらしい。まず入国に28ドル必要という事だったのでそれをガイドに渡した。その後更に10ドルがパスポートのスタンプで必要だという。こういった国境でよく聞く話ではあるし、ハッキリ言って払いたくなかった。

しかしそれを拒んでモメにモメ、出発を大幅に送らせたとあるカップルのようにはなりたくなかった。周りが皆払っていた上にそれでスムーズになるのなら、と結局払ったのだが、どうもそのガイドのポケットに入っていたような・・・?

まぁ色々あったものの、僕らは無事に入国を済ませ移動する事に。今度の乗り物は、更にボロくなったバンである。メキシコからこっち、どんどん乗り物事情が悪くなってきているのは気のせいだろうか。しかも道がこっちは更に悪いときたもんだ。鋪装すらされていない。あのメキシコ人青年が言っていた事は正しかったか、飛行機の方が良かったかも。。。

しかし天気は良く、揺れはするもののバスは快適に草原の中を走ってゆく。窓を開けていたので風が顔に吹き付けてきて、とても気持ちが良い。こんな荒れた道を疾走していると、どうしても思い出す映画がある。プリシラという、3人のドラッグクイーンがバスでオーストラリアを一周するというものだが、その中に荒野を立った一台のバスが走り、その屋根では大音量で「Go West」をかけている着飾ったドラッグクイーン、というシーン。むぅ、ここで屋根に出るのは難しいか。

歌う僕を乗せたまま、バスはそのうち舗装路へと入り快適なドライブとなった。やがてちらほら街も見え始めてきて、目的地が近い事をそれとなく悟りつつバスはいよいよ中心部へと向かっていく。大分街が街らしくなってきた頃に、僕らは終点フローレスへと到着。ここで1泊し、次の日ティカル遺跡へと向かうのだ。

相場に近い値段の中でも良い宿を紹介してもらい、湖を目の前に臨むホテルに腰を落ち着けた僕らは、早速その日の夕方湖のボートツアーに参加した。中央にある島へ渡り、色々な動物を見た後は夕日を島のてっぺんから見るというもので、こちらへ来てから初めての観光らしい観光である。

そのボートツアーを一言で表すと、「素晴らしい」となる。何が良かったか。まずはその島で見た動物達、ワニや色とりどりのオウム、亀に野生のサル、そしてマヤのシンボルであるジャガー。何よりもジャガーに興奮してしまった。彼等には気品があり、しなやかで力強い。これならば僕だって憧れる。

そしてお待ちかねの夕日である。夕暮れ時絶好のタイミングで天辺に到着すると、他の観光客が一切いない中貸し切りの夕日が目の前に広がっていた。湖の向こう、山の峰に沈んでいく夕日。どこまでも濃いオレンジで辺りを染め上げ、ゆっくりと地面の向こうへ姿を消すべく移動してゆく。

こうしてゆっくり夕日を眺めたのもいつぶりだろう。いつからか、こんな自然の美しさに目を向ける事なく人工物の山に埋もれていた。豊かな人生とは何だろう、そして幸せに生きる事とは・・・。少なくともこの瞬間、僕は豊かさと幸せを感じていた。大切な何かを、ちょっとだけ取り戻せたかもしれない。

続く

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2006年1月20日 (金)

ゼロ時間へ。

翌朝、メキシコに着いてから初めてベッドで寝た僕らはとても元気いっぱいで、朝6時のピックアップよりかなり前に準備を整えて朝ご飯を買い出しに行ってみた。前日の夜に24時間オープンと書かれたグローサリーストアを見つけておいたので、そこへ行く事にしたのだ。

朝の空気は澄んでいて気持ちが良い。空も段々白んできて、これから始まる一日が良いものになりそうな予感に満ちあふれていた。周りを見渡せば、朝から元気に活動する鳥や静まり返った木々、そして閉じられたシャッターが僕らを

閉じられたシャッター?!おいおい、24時間のはずじゃあ・・・。なんてこった、やっぱりここはメキシコだった。海外で日本を期待してはいけないと分かっていたが、まさか看板に嘘偽りありとは!空きっ腹を抱えて空しく僕らは宿へと引き返した。

バス(というよりもバン)はちょっと遅れてやってきて、僕らが乗り込んだ後も何人かピックアップしながら明け方の街を縦横無尽に走り回った。最後の客を拾い終えて街から郊外へ出る頃にはもう日が昇り始めていて、ようやく目覚めた草原を色とりどりに染めていた。

この明け方の、見る間に色を変えていく時間がとても気持ち良い。黒から青、青からオレンジ、オレンジからまた緑へと見る間に色を変えていく様はとてもきれいだ。日が完全に昇り本来の色を取り戻した緑はとても力強く、生きる喜びに溢れているかのようだった。

しかしやはり僕は人間である。空腹には勝てない。緑よりも食べ物を!優しい声より芋を!!もだえ苦しんでいたお陰で景色に目をやる余裕など無かった。。。

ようやく朝食の為に休憩となり、ブッフェ形式の食事をここぞとばかりに詰め込んでいく。卵焼きにパン、果物にサルサと色々と種類があり、味も良かったので大満足である。
・・・一つのものを除けば。どうしても、バナナの葉で包まれた何かは舌に合わなかった。どうやらマヤの伝統的料理らしいのだが、調理方法だろうか、単にバナナの葉の香りが苦手なだけなのか。くぅっ、マヤに負けたか!

朝食後は再びバンに乗り、グアテマラとの国境へと向かう。ようやく余裕ができた僕らは、どことなく日本を思い起こさせる茅葺き屋根の家や、ぼろぼろの家に取り憑いていたパラボラアンテナなど興味深いものが盛り沢山な事に気付く。この新しいものと古いもの、そしてハイテクと発展途上がごっちゃになっている国は何なんだろう、とても面白いじゃないか。

そんなこんなで飽きる事なく、バンはグアテマラとの国境にある街へ到着した。出国手続きを済ませた後僕らが乗ったのは・・・そう、船である。これから川下りをして、グアテマラへ入国となるのだ。幸いにも天気は快晴、絶好のクルージング日和である。ワクワクして川辺へ降りてみると、そこには8人乗り程の小さなモーターボートが。こんな船で国境を越えるなんて、何とも愉快である。

岸を離れたボートは、流れが穏やかで止まっているかのように感じられる川を快適に進んでいく。濁った重そうな水をボートから眺めていると、まるでとろりとした泥の中をボートが滑っていくような錯覚に陥りそうになる。何とも平和な、グアテマラの昼下がり。2日後に起こるトラブルの静かな序曲。何も知らない僕は、ただ旅行を楽しんでいた。

続く

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2006年1月19日 (木)

動き続けたその先に。

朝5時という早い時間に、名前も分からぬ街のバスセンターについた僕達は、まず次の目的地であるビジャエルモッサへのバスチケットを確保する事にした。こんなに朝早いのに、バスターミナルには人がまだまだ多い。全く寒くないせいでそんな気は爪の先ほどもしないのだが、クリスマスシーズンなんだなとここで実感。

バスのチケットを首尾良くゲットし、出発までの1時間を思い思いの事をして過ごす。ようやくまたガイドブックを読み、次に行く予定の遺跡であるパレンケ遺跡について情報収集。恐らくこれが僕にとって最初の遺跡となるはずだ。本をめくる手にも力がこもる。

と、なにやら音が聞こえて来たので顔を上げてみると、斜め前に座ったおじいちゃんが孫を抱きしめてちゅっちゅちゅっちゅとキスをしているではないか。メキシコの人は情熱的で、愛情表現も激しいものだと聞いてはいたがここまですごいとは。まるで誘拐されていた子供を長い執念の追跡で取り戻し、しばらくぶりにその腕に抱いた父親のよう。目に入れてもかわいくない、食べてしまいたい、かわいさを表現するそんな言い回しがあるが、その両方ともを本当にやってしまいそうな勢いだった。やっぱり子供はかわいいなぁ。

その後時間となったのでバスに向かい、一路ビジャエルモッサへ。道は昨日に比べると大分良かったので快適である。今度は乗り込んでから到着までずっと寝ていた為、3時間の道程もあっという間に到着してしまった。さて、ここからどうしよう。

パレンケ遺跡まではここビジャエルモッサからもツアーが出ているようだったが、その為にはまずダウンタウンへ行かねばならない。とりあえずダウンタウンへの行き方を聞き歩いて行ったのだが、どうも道がおかしい。地図で見ても何か違うのだ。良く目印を見てみると、どうやら全く逆の方向に行かされていたようだ。くそぅ、あのおっさん騙したな。。。

仕方なく戻る事にしたのだが、その道々いっその事パレンケへバスで行ってしまおうかという案が出た。ちょっと話し合った結果、交通の便等を考えてその案を採用する事に。早速バスターミナルで次のチケットを買ったところ、次のバスまで3時間程の空きがあった。ガイドブックによると、そこから遠くないところに公園があるという。早速タクシーに乗り込み公園へ。大きな池があるこの公園はきれいなところで、巨大な人の顔の彫刻で有名なところだった。

一通り回った後は再びバスの旅である。今度は4時間程、やれやれ昨日から乗り物に乗ってばかりだ。席につくと、僕の隣にはとっても神がもじゃもじゃの青年が座っていた。スペイン語で話しかけられたが、話せない事が分かると英語は分かるかと聞いてきた。しばらく英語で会話しているうちに、これから以降としている場所の情報などを集める事ができた。

僕らはパレンケ遺跡の後グアテマラへ行き、ティカル遺跡を見ようかと計画していたのだが、その手前の拠点都市フローレスまでの道がとても悪いらしい。それであれば近くに空港があるから、飛行機で行くのが一番!とそのメキシコ人の青年は教えてくれた。この情報はが後から考えると大きな意味を持っていたのだが、この時の僕はまだ知る由もなく、そうなんだ、と聞き流してしまった。これがまずその後訪れる悲劇の始まりだったのかもしれない。

パレンケへ到着してからは、まずティカル遺跡へのツアーを確認してみた。旅行代理店である。英語を話せるところがあったので、そこでいくらくらいでどのくらい時間がかかるか聞いてみた。1000ペソで往復のツアーがあるという事だったが、なんと3日間かかるという。まずい、そんな時間はない。。。

一旦どうしようと顔を見合わせてみたら、そこで帰りのフライトががカンクンからである事を思い出し、メキシコのもっと東側に行くツアーだとどうなるかシミュレートしてもらう。

その場合パレンケの遺跡には行けないが、ティカル遺跡と地チェンイツァ遺跡には行く事ができる。メキシコ以外にも国を回れるこのプランはとても魅力的で、結局パレンケ遺跡を諦めそのツアーで組んでもらった。ルートとしては、グアテマラで遺跡を見た翌日フローレスよりベリーズを経由してメキシコ入り,というものだった。

ベリーズが国だとこの時点で誰も知らなかった事はちょっと問題だが、それでも最短ルートで行ける事には違いない。しかしこの選択をこの時していなければ、もっと違った旅行の結末になっていたかもしれない。トラブルの種はこうして播かれていたのである。

続く

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2006年1月18日 (水)

それはある日突然に。

今日は旅行記の更新、バリバリとやるつもりでいたのに。急遽明日、今参加しているプログラムの卒業試験をやる事に。これに受からなければ、日本に帰ってからの就職が駄目になる!なんてこと!!

という事で、今日はちょっとスキップさせていただきます。(あまりいないとは思うけど)楽しみにしていた皆様、ごめんなさい。今日は徹夜するくらいの勢いで頑張るのだ。

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2006年1月17日 (火)

僕の人生Rolling Stone。

ちょっと真面目な話が続いてしまったので、ここでちょっと箸休め的なものを一つ書こうと思う。明日また旅行記を書くのでそちらもお楽しみに*

今日はサンフランシスコへ行ってきた。これが3度目、そしてラストになるかというサンフランシスコだ。今回の参加者は5人。そのうち3人がサンフランシスコ初めてという初心者軍団で、残された日数も少ないからとこのイベントが企画された。せっかくだからと観光をしてきたのだが、普通の観光とはちょっと違った結構ディープな世界も見てきた気がする。

霧の街。華やかな都会であるサンフランシスコ。ユニオンスクエアなどの中心部へ行けば高級ブランドが軒を並べ、着飾った人が道を行き来している。でも今回の目当てはここじゃない。ヒッピー文化の発祥地、ヘイトアッシュベリーへ行く事が僕の目的だった。

4人を巻き添えにして行ってみると、ミュニメトロの駅を降りた所からやや怪しいオーラを放っている路地があり、そこのホテルから出てきたやつれた感じの女の人が道端の植木を罵りながら歩いていたり、ドアのガラスに思い切りヒビが入っていたり。しかもその雰囲気は、ヘイトストリートに入りちょっと歩いて丘を越えると段々危うい感じが強くなってくる。僕らはちょっと元気だったから、駅からバスは使わず歩く事にしたのだが、ちょっとまずかったかな・・・?

しかしそのまま僕らはずんずん進み、途中タバコとは明らかに違う臭いの煙を嗅いだり道端でたむろしていた目がイッてしまった人々から話しかけられたりしながら目的地を目指す。途中ATMは落書きされていたら壊されていたり、ドアのガラスにまたしてもハンマーでぶっ叩いたようなヒビがあったり。ひー。。。

かと思えば、そこの隣のブロックに移るともうビクトリア式の家が立ち並び、とってもきれいでオシャレな感じの街になっていたりして、この節操の無さがとっても面白い。こんなとこに棲んでみたいなぁ。

そしたらきっと、アート系の学校に通う彼女ができたりするんだろうなぁ。しかも同棲とかしちゃったりして。息抜きは近くの公園で歌ったり、柄にもなく詩を書いちゃったりして!料理はきっと僕が担当して、キッチンに関わらない他の家事をやってもらったりして。Jonと結婚する人は幸せだよねぇ、とか言われちゃったりしたらどうしよう!!じゃあ君はきっと幸せになるんだね,なんて指輪と一緒に・・・。

現実に戻ろう。

そんなこんなで1マイルちょっとは歩き、目的地ヘイトアッシュベリーと呼ばれるエリアに到着。くぅー、この生々しさ、いかがわしさが何とも言えない!至る所から立ち上る匂いの違う煙、そしてそれ以外の用途ではどう使えと?というようなパイプを売っている店が立ち並び、人々のファッションも目つきも全てが素晴らしい!!ヒッピー万歳!!!

今日は、迷いに迷った結果これを買った。
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写真が荒くて分かりづらいが、このJerryの表情が素晴らしい!

その後飯を食ってふと気付くと、既に最終電車の1本前が行ってしまっていた。やばい、明日も学校なのにどうしよう。最終まではまだ2時間も間がある。。。これだから交通機関が発達してないカリフォルニアって・・・。

仕方なく5人できゅっとキャブに詰まっていく事に。途中一人ずつ落としていき、最後の僕が金を払ったのだが、メーターで$108とあるのに「深夜料金」という事で$160も取られた。その時は「あぁ深夜料金、割り増しだもんね」と思ったが、そういったメーターの設定にはなってなかったのか・・・?と降りてから気付く。もしかして、ぼったくられた?

くそー、このぼっタクシー(ぼったくりー)!!


うわっ!!!

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2006年1月16日 (月)

メキシコで僕も考えた。

ひとまずメキシコシティーから脱出すべくバスターミナルに到着した僕らは、食べ物を求める胃袋をなだめつつバスのチケット売り場へと急ぐ。途中屋台村のようなところがあったりして、いい匂いが殊更辛い。。。

何とか誘惑を振り切ってチケット売り場へ到着、早速カウンターへ行って聞いてみた。交渉役は、少しスペイン語を話せるStichである。

僕らが目的地に,とピックアップしていたのはパレンケ。飛行機の中で決めたルートは、まずパレンケへ行き遺跡を訪ね、そしてバスでグアテマラへというもの。クリスマスシーズン、期待や疲れ、安堵など様々な表情を顔に張り付けた人が溢れ返るチケットセンター、ようやく窓口にたどり着いた僕らにその夜チケットはもう残されていなかった。明日の朝早くはと訪ねるが、答えは同じ。

このままでは夜の9時から宿探しを、このデンジャラスなメキシコシティーでする羽目になってしまう。ひとまず作戦会議。とりあえず別の会社も調べてみて、もしそこでも無いようであれば、パレンケ近くの街ビジャエルモッサ行きのバスを聞こうという事にして、パレンケ行きのバスを扱うもう一つの会社へ行ってみる。しかしここにはさっきの列など鼻くそ、というくらいの長蛇の列が!

昼に小さなサンドウィッチとニンジンをかじっただけの僕らの胃は、もうそれ自身を溶かし始めそうなほどに不満の声を上げている。そこで僕が列に並んでいる間、StichとKeaneに何か買ってきてもらう事にして僕はガイドブックを読み始めた。

一人で待っていると、思ったより列は早く進んで自分の順番がやってきてしまった。僕はまったくスペイン語など理解できない。せめて窓口の人が英語を理解できればと祈りながら話しかけるが、僕の祈りは届かなかった。何とかガイドブックの後ろに乗っている会話例を参考に聞いてはみたが、いかんせん言ってる言葉が分からない・・・。うぅ、言葉の壁がここまで高かったとは。。。

諦めてグラシアスと言おうとした時、そこに救いの神、Stich帰還。とりあえず聞き直してもらい、パレンケもビジャエルモッサもチケットは無いが、さらにそこ近くにある「ナントカカントカ」という街までならあるという。そこからはまたバスに乗ってビジャエルモッサまで行けるだろうし、もう他に選択肢は無いだろう。そのチケットをようやくゲットして列から離れた。

そしてようやく飯の時間である。二人が買ってきたのはタコス、これがまた美味いのだ。程よく聞いたスパイス、塩加減も調度いい。一緒にあったライムをかけて食べると肉の臭みを美味く消してくれるので更に美味い。空腹という最高のスパイスがプラスされて大満足した僕らは、時間まで屋台村を冷やかしてまわる。ロックに目がない僕は、スパニッシュロックのアルバムを一枚買いウキウキである。

やがて時間となったのでバス乗り場へ行き、シートに体を埋める。疲れもありすぐ眠りに落ちたのだが、暫くの後目が覚めてしまった。時間は2時、到着時間は5時半。まだまだ時間はあり、一度僕の元を去った眠気はなかなか戻らなかったので考え事をする事にした。

僕は今まで、いわゆる一般的な人生とは違う人生を歩んできたと思う。専門学校を卒業した後カー用品点で働き、その後突然トヨタの期間従業員として愛知へ行き、11ヶ月後に千葉へ戻るとその半年後にはイギリスでのボランティアプログラムに参加。1年後帰国してビックカメラでの販売員生活の後とある留学の会社で働き、そこで扱うプログラムに自分で参加するという離れ業もやってのけ、今はアメリカにいる。

今までの人生を振り返ると楽な方、楽しい方へと道を選んで大変な事から逃げていた部分も多かったなと気付かされる。以前付き合っていた子に言われた言葉が、実感を持って心にのしかかる。やろうと決めた道で、大変な事があってもそれを乗り越えた事ってないよね、と。

何か趣味でやりたい事があり、それに向かって努力した事はある。ただ、目標を決めた後でそれに向かって進み、その途中にやりたくない事があっても何とかそれをやり通し、乗り越えた経験がはたしてどのくらいあるのだろう。

今アメリカでバックグラウンドも何も無いジャンルの勉強をして、時にはやりたくない事もやりながらそれを乗り越えて、その時の達成感を味わった。今までの僕には経験が無いその事が、どんなに気持ち良かった事だろう。

分からない事を勉強し、その上で理解した一瞬というのは何とも言えず快感だった。ようやくその道へ一歩を踏み出せた気がする僕は、少しは成長できているだろうか?逃げる事だって悪くない。それだって立派な選択肢の一つだし、こうしてどこかで気付ける機会だってあるのだから。

人生が今、大きな転換期にある事を実感している僕を、バスは猛スピードで運んでゆく。夜明けはもうすぐそこにあった。

続く

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2006年1月14日 (土)

ご旅行は計画的に。

いきなりのトラブルに今後の運命を垣間見た気がするが、それでも僕らは旅に出る。何といってもクリスマスホリデーなのだ。楽しい時期なのだから。これしきの事で邪魔されてたまるものか。

何とか気持ちを切り替えつつ、僕らはメキシコへと旅立った。今回のルートは、ヒューストン経由メキシコシティー行き。それぞれが4時間程のフライトで、ヒューストンからの飛行機では軽食が出た。サンドウィッチとニンジン。

・・・ニンジン?ウサギさん??生の、ニンジンが、袋に入って、ころころと。周りを見ると、皆普通にぽりぽりとやっている。これは、アリなのか。アメリカ恐るべし。

食べ終わった後、持っていったガイドブックを見てみるとこんな情報が。
「メキシコシティー、治安悪い。」
えぇー、でももう向かってるよ。。。しょうがない、それなら着いたらすぐにバスで移動するとしよう。鉄道が次々廃線になり、バス大国であるメキシコ。夜行バスも多く走っているようだし、それで移動してしまえ。どれどれ、バスの情報ページは、と。なになに、
「1等と2等があり、2等は途中で止まる為強盗の危険あり」。
それなら1等で行こうね!お、もっと何か書いてある。
「クリスマスシーズンはとても混み合うため、予約をしないと難しい」
・・・?今日何日だっけ??

早くも機内でパニックになりかける僕。そもそも現地へ向かう飛行機でその情報を知る事自体がおかしい。旅行の計画って、とっても大事。次からは欠かさない。インディアン嘘つかない。

そんな僕らを乗せて、飛行機はメキシコシティーへ到着した。まずはバスターミナルへ行く事にして、地下鉄の駅へと向かう。・・・はずだったのに、どこへ行っても地下鉄のサインなどがない。仕方ないちょっと道を聞こう。
「Excuse me?」
「べらべらべれ」
くっ、スペイン語だったんだ。。。

空港の色々な場所をうろうろした後、ようやく英語を話せる人に教えてもらい地下鉄へ。ちょっと幅が狭い、妙にコンパクトな電車でバスターミナルへ向かった。途中乗り換えの時にドアの前で降りる人を待っていたら、いきなり目の前でドアが閉まった時にはメキシコに拒否されたような気もしたが、弱音を吐いては旅行はできぬ、何とかバスステーションまで辿り着いたのだった。しかしそこで待ち受けていたものは、またしてもトラブルだった。

続く

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2006年1月13日 (金)

そして旅は始まった。

思えばこの初日の朝,このハプニングが今後を象徴していたのかもしれない。最初のトラブルは、空港に向かうところでやってきた。

僕らの飛行機は朝8時45分発だった。旅の第一段階、空港への足を確保する事。きっちりと1週間程前に、空港へのピックアップサービスを3人分まとめて予約。場所で見ると僕の家が最後になるという事だったが、4時40分には迎えにいくという事だったので、当日の朝僕は時間通りに表で待っていた。

しかし待てど暮らせどバンが来ない。ちょっと遅れてるのかなと思って待っていたが、いくら何でも遅いだろう、もう5時を過ぎる。そこで僕の携帯が鳴った。

かけてきたのはStich、最初にピックアップされているはずだった。嫌な予感とともに電話に出ると、不安と怒りが若干入り交じった声でまだ迎えが来ない、と言うじゃないか。かけ直す事にして、すぐピックアップサービスに電話してみると、バンが遅れているからもう少し待て,と言うのだ。そこで念の為に3人分ちゃんとピックアップしてくれるんだよね?と聞いてみると、予想だにしない返事が。

「予約は3人分入っているけど、一人の場所が離れててもう1台バンが必要なんだ。でも全部で払っているから、タクシーとか捕まえるようにその子に言っといて。」

・・・何ですと?もう一度言ってみろ、このヤロウ!と言おうとしたところで携帯の残高が切れてしまい、呆然とする僕を残して電話は切れた。早朝だけど、叫んでもいいシチュエーションだと思うのだがどうだろう?

もう少しで爆発する!と思ったところにバンが到着。Keaneは既に乗っていて、まず一安心。遅れと対応の悪さに機嫌も悪かったので、ドライバーにはちょっと強めにStichを拾うよう指示すると、意外にもあっさり従ってくれた。10分後には無事合流できたので良かったが、きっとこの会社を使う事は二度とないだろう。。。まったく、出発の朝から縁起の悪い。
ええい、塩撒いてくれるわ!

続く。

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2006年1月12日 (木)

僕には使命があったのだ。

旅行記なんぞを書いてみようと思う。書けるかどうかは分からんが、それでも書きたいと思うからには仕方なく、書かねばならない理由もある。

年末のクリスマスホリデーを利用して、僕は友人2人とメキシコ、グアテマラ、ベリーズをまわってきた。その時ちょっと調べてみたが、なかなか正確な情報が見つからなかったおかげで色々とトラブルがあったのだ。この事を何らかの形で発信しなければいけない、インターネットを経由して。どれくらいの人が見るかは分からないが、必要とする人の目に留まりますように。

どこから始めようか、まずは計画のところから書くとしよう。最初、クリスマスにホリデーが9日間あると聞いた時には家にいるつもりだった。勉強もしなきゃいけないだろうし、クリスマス前にBon Joviのライブに行くと決めていた事もあってお金もあまり無かったし。でもフライトの料金によっては、昔からの僕の夢であるマチュピチュに行けるかもしれないと淡い期待は抱いていた。

それが変わったのは、クラスメイトのKeaneに誘われた事が大きい。当然行くでしょ?の一言で、僕のホリデーは旅行になった。行き先は最初メキシコだった。しかし僕が強く希望したマチュピチュと、もう1人の旅行参加者Stichが主張するブラジルとで一時メキシコは候補から外れてしまった。またそれが候補に戻ったのは簡単な理由、金のせいである。南米、高い。日本と変わらん。

そんなこんなで行き先はメキシコへ決まり、苦労しながらも航空券を取った僕らは、特にプランを立てるでもなく当日を迎えた。そしてここからハプニングだらけの旅行は始まったのだ。

続く

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2006年1月11日 (水)

全ては霧のせい。

今日は朝起きるととっても霧が濃くて、50メートル先が霞んでいるくらいだった。思えばロンドンといいサンフランシスコ近くのこのベイエリアといい、僕は 霧の街に縁があるのかもしれない。いつかロンドンでまた生活をしたいと思いつつ、自転車に乗る環境としてカリフォルニアも素晴らしいものがある。ここで永 住なんていうのもいいなとも思う。決して日本という現実から逃げようとしている訳ではありません。

その濃密な、水滴までもが見えるような霧のせいで今日はぎりぎりに学校へ到着。自転車に乗るといつも僕は手加減をできなくなり、ついつい汗だくになるまで本気走りをしてしまう為今日も汗だくだ。朝のエクササイズはとっても気持ち良い。

ただそのままではさすがに風邪を引いてしまうので、いつも着替えを用意して登校するとすぐトイレで着替える事にしている。今日もいつものようにTシャツとタオルを片手にトイレへ向かうと、日本人の男の子が僕の直前に入っていった。そのまま彼は迷わず個室へ入っていったので、暫くは出てこないだろうとその場でTシャツを脱ぎ、ダイナミックに体をタオルで拭き始めた。

「がちゃ」

早っ!流しもしてないし座りもしてない。ペーパータオルなら表にもあるのに!!小用なら表でしなさいよ!!!
小便器一つに個室一つの狭いトイレの中、きまずーい沈黙が。冬の寒い空気の中トイレで上半身裸の男が汗だくの体を小さなタオルで拭いている。彼もさぞかし驚いた事だろう。急いでTシャツを着替えたが、その時も焦り過ぎた為に腕をブンブン振り回し、その上彼を殴ってしまうというおまけまで。

まことに申し訳ない。。。でも小用は小便器でしようね*

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2006年1月10日 (火)

かわいそうな人。

自分の頭が壊れかけているせいか、昔から壊れかけた人と知り合ったりそんな人を街で見かける機会がよくある。類は友を呼ぶというが、やはり昔の人が言う事には一理あるのだろう。今日もそんな人が、いた。

朝自転車で走っていて、学校までもう少しという時に彼を見つけた。信号待ちで止まった僕の前で、彼は運転席に座り助手席に向かって何か話しかけているところだった。

見たところ60歳半ばくらいで髪は銀髪、眼鏡をかけて話に夢中の彼はとっても明るい表情だった。あぁ幸せな一コマだなと思い隣の席に目をやると、色白を通り越してやや緑がかった肌の女性が座っていた。彼女は微動だにせず彼の話に耳を傾けているよう。しかしあまりにも顔色が悪く、頭に巻いたスカーフや不自然な眼鏡、化粧の仕方などがどうもおかしい。目を凝らしてみると・・・彼女はどうやらマネキンのようだった。

恐らくは彼の妻が亡くなった後、その衝撃から立ち直れずに現実を拒否する事を彼は選んだのだろう。彼の目にはまだ妻が相槌を打ち、時には首を傾げて考えたり彼の話に笑ったりするように映るのだろう。

端から見るとその行為はおかしいかもしれないし早く乗り越えろという人もいるかもしれない。それでも彼の完結した世界では、彼女は生きていて彼と共にいる。その世界にいる限り彼は幸せなのだろう。その幸せは彼のものだし、誰もそれを壊す事なんてできやしない。

もう一度微笑みながら彼を見て、幸せを願ったところで走りだした。僕だって、幸せな一日を過ごしてみせる。








その瞬間マネキンが動いた。

・・・とりあえず、おじいちゃん、ごめんなさい。
かわいそうな人は僕自身でした。
そしておばあちゃん、あの肌の色と化粧は反則だってば。

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2006年1月 9日 (月)

追いかけっこ。

僕は自転車に乗っていた。とはいっても友人宅からの帰りで、お土産として持っていった自分は苦手な濁り酒を飲まされてほんのりほろ酔い気分。こんな時には 無理しちゃいけないし、カバンの中にはもらったギフトがたっぷり。カバンの中におさまらなかったセーターは既に僕の体を包んでいたので、夕暮れの街をのん びりと、もうすぐ帰国か・・・という甘い感傷とともに進んでいく。そんな幸せな1コマだった。

しかしその幸せな風景は、彼女の出現によってがらりとその様子を変えてしまった。

      

彼女は並行する道からやってきた。マウンテンバイクに跨がり荷物は持たず、上下ともジャージでエクササイズ中という事を充分すぎるほどにアピールしてい た。普段ならば「お、いるな」と見送るのだが、彼女が僕の事をパスする時の一瞬の笑み、それが僕に火をつけたのだ。挑まれたからには、戦うのが男だろう。 決して彼女の後ろでその尻を眺めて,などという事は考えていない。

まずカバンの位置を修正しつつ上半身をやや前のめりにし(空気抵抗を減らす為)、彼女の後ろにぴったりついてペースを把握する。あくまでも、分析。

一通りペース配分などの「自転車に関する」分析を終えると、ちょっと前に出て様子を見る。ここではまだペースをあまり上げない。すると彼女もぴったりと僕 に暫く張り付いた後、おもむろに前に出た。
おもしろい、ヤル気か。ふふふ、後悔するなよ?

また暫くしてからペースを上げ、前に出る。でもまだだ、まだなのだ。楽しみはここから。彼女も負けじとついて来て、二人の追いかけっこは続いていく。

僕 「ほらほら、捕まえてごらん?」
彼女「ちょっと、待ってったら!」
僕 「ははは、早くしないと置いてっちゃうぞ*」
彼女「ああん、ちょっと待ってよぅ」

なんて妄想をしていたら、たっぷり10キロは走っていた。後ろを向くと、やや苦しそうに顔を歪ませて必死についてきている。名残惜しいがしょうがない、で もまた君と走りたいよという意味を込めて、とびきりの笑顔を残し一気にペースを上げると僕は彼女を置き去りにして角を曲がった。

なかなか良い一日だったと満足しつつ、改めて夕暮れの街を眺めようと回りに目をやると、なおも必死についてくる彼女の姿が。あまりにも必死な形相に恐くな り、自宅とは違う道で曲がってもなおも跡を追ってくる。なに,ストーカー?!と半ばパニックでベダルを回すこと鬼の如し。やっと振り切って安心すると、辺りは すっかり見知らぬ景色。汗に濡れたセーターと、思いきりシェイクされたカバンの中の炭酸飲料に気付き途方に暮れる僕。

      

教訓、簡単には熱くなるな。

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さてさて。

無事に立ち上がったという事で自己紹介から。

Jon 26歳、現在アメリカにて2度目の留学中。
最初は3年前、イギリスへ1年ほどボランティアとして
渡りホームレスと戯れる毎日。おかげでロンドンの
ホームレスに友達が多いというディープな状況に。
趣味はロックと自転車、料理に旅、そして書き物。
日々の記録として書いていくつもりでございます。
アメリカ生活はあと2週間程で終わるけど、
ネット生活はこれから始まるという事でよろしゅう*

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